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 「戦いの火蓋」 (2/6)
 「美奈! 美奈! 美奈! 美奈! 美奈っ!」
「……うるさいわね。 人を犬みたいに」
「美奈、どうしよう? どうしよう? どうしよう!」
「だから、何がどうしたのかを言いなさい。私は単語だけで何もかも分かる程にね、賢くはないの…… 分かる?」
「あのね! あのねっ! あのね、あのね!」
「ああ…… もう…… とにかく落ち着きなさいよ。あんたって子わ……」

 美奈はそう言って立ち上がると、すぐにマグカップと一緒に戻って来た。

 「まずはこれでも飲んで、落ち着いてから話しをしてちょうだいな。一体何があったのかは知らないけど、どうやったらそこまで子供のようになれるのかしらね」
「だって……」
「全く、こんな子が劇薬を扱ってるだなんて世間様が知ったら驚くわね」
「そこまで言う?」
「あんたを見てたら言いたくもなるわよ」

 美奈はそう言ってコーヒーを一口すすり、私の目の前で頬杖を付いた。

 後藤美奈。緩いふわふわのソバージュの髪が似合う私の自慢のルームメイト。 しゃっきりとした姉御肌の経済学部の学生。同じ学科の水越さんという彼氏持ち。

 「……で、何がどうしたのよ?」
「うん…… あのね。女の勘って信じる?」
「……? まあね、私も女だし…… それが?」
「最近ね、ちょっと感じるの」
「何を?」
「女の勘って奴」
「……だから?」
「だから…… その…… ええっと、何だ、その……」
「由衣ちゃん。人とお話しする時はきちんと整理してからにしましょうね。でないとね、相手はどう答えたらいいのか分からないの。分かる?」
「……はい」

 美奈は私の頭をと引っ掻き回しながら、下から実に楽しそうに覗き込んで来た。 私は覚悟を決めて話し出した。

 それは、同じ応用科学化の山中ちゃんのこと。

 同じグループなので何かと話したり、つるんで出掛けたりすることが多く、そうこうしている内に好きになってしまったこと。どうやら向こうもまんざらでもなさそうなこと。でも、最近、妙な視線を感じること。その視線がどうやら女の視線であるらしいこと。

 「……ふうん。で、その相手の見当は付いている訳なんだ?」
「ええ、まあ……」
「誰よ?」
「同じ応化の一年生」
「ほほう、先輩と恋の鞘当をやろうってか?」
「美奈、あんた。この状況、思いっきり楽しんでない?」
「……? 当り前じゃない。こんな見世物、滅多にあるもんじゃあないわよ」
「あのね……」

 美奈はぴっ、と人差し指を私に付き付けてきた。

 「でもさ、今頃になってようやく山中ちゃんへの気持ちに気付くだなんてさぁ……    あんた、馬鹿じゃない?」
「えっ?」
「……え?」
「だって、私…… こんな話、誰にもしたことないもん」

 私の言葉に、美奈が気の抜けたサイダーのような弱々しい溜息をついた。

 「だ・か・ら…… あんたは馬鹿だ、って言ってんじゃないの…… じゃあさ、何? 今の今まで誰も、何も気付いてないと思っていた訳? 隣の朱美と玲香なんてね、あんたがいつ自分の気持ちに気付くかって賭けている位なんだからね。こんな奴、馬鹿といわずに何て言うのよ? え?」
「なっ……」
「あんたはね、いつもいつだって山中ちゃん、山中ちゃんはね、だったんだから……  これで気付かない奴がいたらお目に掛かりたいものだわ」
「……」

 私は美奈の言葉に何も言い返すことが出来なかった。本人が気付いていなかったようなことが、これほどまでに他人に筒抜けであったとは……

 「まあ、それはともかくとして…… 要はこれからどうするかってことが問題よねぇ。で、何? あんたはこれで山中ちゃんを諦めてしまうつもりなの?」
「まさか! 一年生なんかに負けてられないわ」
「これは駆けっこじゃないんですけど……」
「あんたは水越先輩だから、余裕だからいいわよ」
「それとこれとでは論点が全く別次元の話でしょ? まあ、まずはその彼女とやらを一度、拝んでみておかないとね。彼女のスケジュールは分かる?」
「授業の時間位なら…… 明日は一番に授業があると思うよ」
「よし! そうとなれば早速、偵察といきましょうか」

 美奈はそう言って意味深に笑うと、冷めかけたコーヒーを一気に飲み干していた。


 「由衣。来た?」
「ううん。まだ…… でも、もうすぐ来ると思うけど……」
「早く来ないかなっ、と」
「あんた、この状況を楽しんでない?」
「当り前じゃないの。野暮言うんじゃないわよ」

 私達は校門の近くのベンチに並んで腰掛け、学生の波をぼんやりと眺めていた。

 「来たっ!」
「どこ?」
「ほら、ジーンズにショートボブの子。ブルーのブラウスの子が隣にいるでしょ? 
あの子、あの子よ」
「へええ…… あんたとは別な意味で応化の人間には見えない子だねぇ」
「美奈、こっち見てる! うわ、睨んでるよ…… どうしよう?」
「何、気弱なことを言ってんのよ。反対に睨み返す位のことはしなくっちゃ」
「でも……」
「そんなんだと、あの子に山中ちゃんを持って行かれちゃうよぉ」

 彼女はこっちを睨み付けたまま、何も言わずに人波に飲まれて行ってしまった。

 「……ふうん。この分だと向こうもかなり本気かもね」
「だから! どうしよう、って言ってんじゃないの」
「そうねぇ……」

 美奈は口許に薄く笑みを浮かべながら彼女が消えて行った方向を眺めていた。
私は小さく溜息をついた。

 「おいっ! 綾原、こんな所で何をしているんだ?」

 突然の声に心臓が跳ねた。人波から抜け出して来たのは山中ちゃんだった。

 「……あ、山中ちゃん。おはよう」
「おう…… あのさ、提出するレポートのことなんだけどさぁ」
「ええ、何? どうかしたの?」
「由衣。私、そろそろ行くね」
「美奈……」

 美奈が立ち上がった。立ち上がりながら美奈は私の耳元で囁いた。

 「大丈夫。私が全面的に協力してあげるんだからね。心配しなさんなって」
「美奈……」
「じゃあね〜」

 美奈は寄って来た山中ちゃんに会釈を一つすると、一人で行ってしまった。

 「綾原、今の誰?」
「私のルームメイト。綺麗な子でしょ?」
「ああ。どこぞのお子さんとはえらい違いだ」
「悪かったわねっ!」
「俺はどこの誰、とは一言も言ってないぞ」
「視線がそう言ってるのよ、馬鹿」
「はは」

 私はまだ知らない、美奈が何を思い付いたのかを……
拓もまだ知らない、私の想いを……


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