「りとりとこりと」(5月3枚目)
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 「じゃ、二時半ということで」
「私、あんたんちを知らないわよ? ちゃんと連れて行ってよ」
「あ? なんで?」
「なんでって…… 私、ちゃんと案内してね、って言った!」
「言ったか?」
「言った! 柔道の授業の時間の帰りに言ったじゃないのよー」

 遙香が激しく地団駄を踏むと、理人はうーんと腕を組んで考え込んだ。

 「……そうだっけ? 合気道やるって言っただけだろ?」
「ちがーう! あんた、やっぱり三歩歩いたら全て忘れる鳥頭なのね?」
「お前なぁ〜」
「私はちゃんと言った!」
「ああ、分かった! 分かったっ! でも…… お前、昼は? 食堂か?
俺、早く家に帰りたいんだけど?」

 理人が口篭ると、遙香は晴れやかに笑って背中の鞄を身を捩って示す。

 「お弁当を持って来てまーす。食べられるような場所はあるんでしょ?」
「まあ… 更衣室とかエントランスでいいんなら……」
「決まりね。よろしく!」
「……はいはい。分かった、分かりました…… 付いて来い」
「ありがとー」

 完敗を喫した理人に続く遙香の足取りはとても軽やかだった。




 「よいっしょーっ!」
「お前っ! 何、いきなり人の後ろに乗るかなっ!」

 校門を出てすぐ、遙香は理人の自転車の後ろへと勢い良く立ち乗った。

 「何? 私一人位、乗せて走れない程のヘタレな訳?」
「あのなぁ…… そういう訳じゃなくてー 校則違反っ!」
「行けっ! ヘタりんと号っ! しゅっぱーつ!」

 遙香は理人を無視して目前のヘルメットをぺしぺしと叩き上げる。理人は
げんなりと首を巡らせた。下校のピークを過ぎた校門周りには誰も居ない。
家までは下り坂一本。下手に自転車を押しながら二人でちんたらと歩くより
一気に走った方が早い。そう判断した理人はペダルをゆっくりと踏み出した。




 「こンの馬鹿こりとーっ! 何をやっとるかっ!」
「あ…… 神先生だ」
「あいったぁ! 選りによってともたんかよ〜 最悪……」

 とある交差点で信号待ちをしていた二人は、突然の横からの怒鳴り声に
反射的に首竦めた。ワインレッドのプリウスから身を乗り出して二人を睨み
付けているのは伴迪。

 「お前らっ! 二人乗りの校則違反っ! 後で覚えてろっ!」
「……すみません」
「ごめーん……」

 しおしおと謝りつつ、理人が伴迪に声を上げる。

 「……で、ともたん。なんでこんな時間に、こんな所に?」
「爺さん達を道場に降ろしたその足で、空港まで苑良を迎えに行ってくる。
稽古が終わった頃には戻る。待ってろ」
「あ、ともたんが迎えに行ってくれるの? ほーい! 気を付けてー」
「おう! じゃあ、また後でな」

 後続車に催促のクラクションを激しく鳴らされた伴迪は去って行った。
それを大きく手を振って見送る理人の肩を遙香がゆさゆさと揺さぶる。

 「ねぇっ! あの二人いつの間にっ?」
「へ?」
「ちょっと! あんた、知ってたの? あれ、どーいうことよっ?」
「え?」
「神先生の隣に座ってたの、美桜ちゃんだったわよねっ!」
「あ〜 そうだっけ?」
「だったわよっ!」

 空惚ける理人に対し、遙香はきしゃあっと高く吠え上げる。

 「あんたのそのどんぐりお目々は飾り物かーっ!」
「んだよ、それっ!」
「先週の体育祭のあれがきっかけ? そうなのっ? そうよねっ! 
無駄にすっ惚けるんじゃないわよっ! はっきりおっしゃい!」

 ぎりぎりと首を締め上げての厳しい尋問に降参した理人は、こくこくと
肯定の頷きを繰り返す。

 「頼むから、あまり大声で言い触らさないでやってくれる?」
「分かってるわよ。それ位、私だって弁えてます〜 あんたとは違うのよ〜 へぇぇ…… やっぱり、ねぇ……」

 意味深に笑う遙香の横顔を、理人は不思議そうに見返すばかりだった。




 「俺んちの道場、あれな」

 理人が指差した先には、ガラス壁の小洒落た建物があった。

 「へー、こんな駅前にあったなんて知らなかったわ」
「駅前つっても、一本筋向こう側だし、一等地って訳じゃなし」
「建物の周りを駐車場で囲んでる訳なの? 両横に向かい合わせで十台、
玄関の自転車置き場を挟んで左右に三台。四十台の六台。大きいのね」
「かな?」
「あら? 向こうの筋まですとーんと通り抜けられるの?」
「いや。向こうへは通り抜け出来ないように区切りがある」
「……ああ。本当だ」

 遙香は首を伸ばして整然と車の並ぶ駐車場の向こうへと目を凝らした。
そこには大きいプランターが幾つか並べてあり、人は通り抜けられても車は
通れないようになっている。そして、道場と面一で建つ一軒の家。

 「んで、道場の隣に建ってるのが俺んち」
「ほほぅ。これまた立派な御宅ですことね。じゃ、その前はあんたんちの? そんなに車が多い訳、じゃないわよね?」
「うちは両親と苑良にぃの三台だけ。あのプランターから向こうは道場関係とはまた別の月極駐車場になってるんだ」
「ということは。この通りから隣筋の間の一区画丸々が敷地な訳?」
「だな」
「ぱっと見でも向こうも四十台位あるわよね。道場と合わせたら百台…… 
なんとまあ、随分と規模の大きい敷地ですこと」
「そうかぁ?」

 理人の気の無い返事も意に介さず、遙香は楽しげに声を上げる。

 「あんたの家ってさ、街の中の陸の孤島みたいで面白いわよね。ぐるっと
車に取り囲まれててさぁ」
「俺はガキの頃は駐車場がよく分からなくて、自分の家だけがどうして道の
真ん中に建っているんだろうって思ってた」
「あはは! あんたやっぱり昔から馬鹿だったのね?」
「うっせい!」

 遙香が爆笑すると、理人は緩く苦笑を噛み殺す。

 「道場の前は来客用。その両脇は合気道の人。隣のマンションの人達を
優先に貸してる。ここに車を置いて電車通勤という人も結構いるな」
「ふうん…… でも、六台も来客用があるって随分と太っ腹よね?」
「うちの合気道だけでなく、他の武道の団体にも貸してるからな。下の階の
フローリングはダンスや体操の教室としても使ってる」
「あら、まあ。二階建てですか? 随分と豪勢ねぇ。それだけ人の出入りが
あるのならばそれ位は必要かもしれないわね」

 ふんふんと評論家ぶった仕草で頷く遙香に対し、理人は先を続ける。

 「それと、これで間隔を取ることで近所への騒音対策としているんだとさ。隣にマンションが建ったから、これ位の配慮は打っておかないとトラブルの
元になるからとか苑良にぃが言ってたな」
「ふうん、色々と大変なのね…… あんたって結構金持ちのボンなんだ?
だったら、これだけの道場も建てられるってもんよねー」
「金持ちなんかじゃないよ。うちは宝くじ道場って呼ばれてる」
「宝くじ道場?」
「ええっと……」

 理人は軽く躊躇いを見せた後、苦笑を噛み殺すようにして話し出した。

 「うちのひい爺ちゃん、戦前までは先祖代々の農家さんだったんだ」
「へー」
「戦後開発でここに電車が通った。続いて、もう一本通ってここは乗り換え
駅の大規模商業地域になった。で、農家さんは辞めちゃった」
「はいはい。よくある話ですねー」
「農家を継がずに会社員だった爺ちゃんは、田んぼを駐車場にしたんだ」
「で、この敷地の広さか…… 大きな農家さんだったのね?」
「電車が通らなければ、この辺はどが幾つも付く田舎だったらしいしな。
同じ位の規模の元農家の地主はこの辺は多いよ」

 理人の話に遙香は大人しくふんふんと頷いている。

 「で、父さんが合気道の師範の資格を取った。この駐車場の一角を潰して
住居兼道場を建てようとしたその時に……」
「時に?」
「爺ちゃんが宝くじで高額当選した」
「あら〜 それを公言しちゃっていい訳? 普通は黙ってるもんでしょ?
色々寄付のお誘いがうるさいって言うじゃない?」
「たまたま近所の会合で飲んでた時にぽろっ、と……」
「あははー あんたと似てるわね。それ、きっと血筋なのね」

 弾けたように笑い出した遙香に吊られ、理人も肩を揺らして吹き出す。

 「で、そういう輩にキレた爺ちゃんは、父さんの道場にほとんどの賞金を
突っ込んだ。武道場の二階、フローリングの一階という箱物にしちゃった」
「んまっ! 豪快なお馬鹿」
「なんか立地条件とか、そういう稽古になる場所が地域には少ない故に、
潰れずにやってるって感じらしい」
「事業大当たりですねー 固定資産税とか馬鹿にならないだろうけど、その
感じだと充分ペイ出来ていそうよね?」
「……なんかそういう小難しい話、詳しいのな、お前」
「いやいや、これ位は常識の範囲でしょ?」

 理人の感心を遙香は笑って振り飛ばしていた。




 「こっちが女子の更衣室な。中にテーブルと椅子がある筈だから。
何だったら、このエントランスのソファで食べてもいい」
「はーい」
「俺もすぐに戻るから、ちょっと待ってろ」
「いやいや、そこまでお気遣いなくよ。私だってそれ位……」
「理人。こんな時間に何やってるの? 早くお昼食べてしまいなさいよね」
「母さん」

 道場エントランスであれこれと説明をする理人の後ろから袴姿の女性が声を掛けてきた。理人の母の織江だった。三人の、一番上に至っては成人した
子持ちとは思えない位に若々しい。

 「あら? 伴迪君だけでなく、今日はあんたまで彼女を連れて来た訳?」
「冗談も大概にしろっ! 入会希望の奴が来るって言っただろうが?」
「そうだっけ?」
「言った!」
「ごめん、ごめん。苑良達の事でいっぱい、いっぱいだったわ」
「あのなー」

 自分を棚に上げてぶんむくれる理人の横で遙香はぺこり、と頭を下げる。

 「樋口遙香です。お忙しい日とは知らず、申し訳ありませんでした」
「まぁ…… うちの馬鹿息子と同級生とは思えない位しっかりしてるわぁ」
「そんなとんでもない。大城戸君にはいつもお世話になってます」
「とんでもない。こちらの方がいつもお世話掛けまくってます」
「んじゃ。俺、行くわ」

 挨拶が終わると理人は自分の鞄を担いで行ってしまった。

 「もうっ! 素っ気無いんだから…… 樋口さん、お昼は?」
「あ、はい。お弁当を持って来てます。今、こちらの更衣室かここで食べて
いいよと教えてもらっていたところなんです」
「あの馬鹿っ! こんな所に初めての女の子を一人で置いて行くなんて!」
「いえ、いいんですよ。無理を言ったのは私の方なんですし」

 あたふたと手を振り回す遙香の肩を、織江はぽんぽんと押し出した。

 「夕方にうちの長男坊が帰国するんでとっ散らかってるけど、良かったら
いらっしゃい。ここはすぐに小学生達がやって来てバタバタし始めるから、
落ち着いて食べられたものじゃないわ」
「でも……」
「いいの、いいの。気にしないで。一緒に食べましょ」
「え?」
「はい、はーい。お一人様ご案内〜」
「え〜」

 道場隣の大城戸家へと遙香はにこやかに拉致されて行った。




 「ねぇ、れいちゃん。お願い。それ、ちょうだい? ね、ね? ねぇ?
ね? お、ね、が、い!」
「恵梨は持ってないの?」
「だって、あの馬鹿、まだクリアしてないんだもん。トロいんだもん」
「ああ、そういうこと。クエストクリア出来てないんだ?」
「だから、ね? お願い、お願い〜 ね、いいでしょ? ね?」
「仕方ないなぁ…… いいよ、後でね。もうそろそろ背中から降りな」
「ありがとーっ! れいちゃん、大好き〜!」

 可憐な花の笑顔を首に巻いて笑う怜司の姿を目の当たりにした遙香は、
口許に手を宛がって大きく後ろに仰け反っていた。

 「……うぉあぁっ! 大城戸? あんたち、そういう趣味だったのっ?」
「え?」
「は?」
「……あ? あ、あれ? 大城戸、じゃない? あれ……?」

 怜司の背にぴったりと抱き付いたまま見上げる顔は理人と似ているが、
理人ではない。あの特徴的な太眉ではない。

 「……れいちゃん。この人、誰?」
「理人と同じクラスの樋口さん」
「ああ! 馬鹿理人をいつも怒鳴り散らしてるっていう委員長さん?」
「そ」

 怜司から飛び離れたのは女の子だった。綺麗に纏められた長い黒髪と
ほっそりとした柳眉。遙香の知っているそれではない。

 「いつも兄がお世話になってまーす! 妹の恵梨でーす」
「妹…… さん? お姉さんの間違いじゃなく?」
「姉はまた別にいまーす! 残念なことに、私の方が一年出遅れました」
「あはは…… 勘違いして…… ごめんなさい」

 遙香が頭を下げると同時に甲高い声が躍り込んで来た。

 「樋口っ! よりによって誰と誰を間違えてやがるっ!」
「あ! こっちはチビの、本物の大城戸だー」
「阿呆恵梨と一緒にすんなっ! ぼけっ!」
「だって、そっくりだもん。あ、身長は恵梨ちゃんの方が上っぽいか?」
「樋口さん、ナイス!」
「ほざけっ! 阿呆っ!」
「馬鹿でチビの理人には言われたくないわよぉ〜 ねえ?」
「んだとっ!」
「ああん? やるってんの? 馬鹿理人? 受けて立つわよ〜」

 勃発した兄妹喧嘩に周りの者達は薄く笑うばかり。誰も止めようとしない
雰囲気におろおろと遙香は隣の怜司に助けを求める。が、返って来たのは
たった一言のみ。

 「馬鹿をみたくなかったら、黙ってほっときな」




5月4枚目に続く




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