「りとりとこりと」(4月11枚目) |
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「美籐」 「ああ、篠原先生。くじの方はあれで良かったですよね?」 「……どうして同じ物が神先生に? あれは……」 片付けの品を校舎へと運んでいた怜司と遙香の前に篠原が現われた。 その端正な顔には形容し難い異質の色が浮かんでいる。遙香は咄嗟に怜司の 影へと隠れた。理由や理屈ではない。それは危険を察知した本能的な動き。 「特別品を借りる以外のくじは二枚以上という決まりでしたので、他の物と予め差し替えておいたんですけど? それが?」 「それがどうして…… 神先生と同時になんだ?」 「さあ…… それは、ただのくじ運というか…… それを操作するという事は詐欺行為ですよね?」 「お前、わざとやったのか? 何をしたのか分かっているのか?」 「くじと走者の順番操作と同じ関係だと思いますが?」 篠原の凄みに動じた風もなく、怜司は艶然と微笑んでいる。その背後から 最終競技の騎馬戦の大歓声が遠く流れてくる。 「ま、どっちにしても。先生は今年限りで契約が切れる講師な訳ですから。こんなお遊びの不正、特に大きな問題にもなりませんでしょうけど」 「な…… 何を…… 何故、お前がそんな事」 篠原がすっと目を細め、眉を深く顰める。教師の雇用任期を一介の中学生がどうこう言う話ではないし、今はそういう場でもない。 「理事長の不興を買って尚、次の契約更新ありと考えているんですか? 篠原先生って意外とおめでたい方だったんですね」 「それと何の関係が? それに、私がいつ理事長の不興を買った? 理事長はあまり学校には顔を出さない。現に今も来賓席に座っている。私は理事長とは直接話をした事なんかない」 訝しみながらも反論してくる篠原に対し、怜司は楽しそうに肩を揺らす。 「ああ、それ? 先生が理事長だと思っているのは次期理事長ですよ。今の実質的な経営や運営、顔出しは息子が全て担ってらっしゃいますからね。 うちの理事長、硬い席からはすぐに逃げ出すんですよねぇ。困ったもんです」 「……? 本当の理事長?」 「理事長と同じ苗字の人に決まってるじゃないですか」 にこやかな怜司の言を受け、篠原が素早く考えを廻らせ始める。やがて、 弾き出されたものにその美貌が軋んでいた。 「……宅原(えいばら)。あの、夫婦で用務員をやっているあの人……?」 「そうでーす。あの方達が現理事長夫妻でーす」 ぴんぽーんと指を立て、怜司がにっぱりと笑う。 「いつだったか篠原先生、理事長の差し出した手を無碍に払ったんですよ。 しかも、職業の貴賎を理由にね。ああいう比較差別、宅原のおっちゃんの一番嫌う所なんですよねぇ。一応、あれでも教育者でもありますしね」 「だから、それとこれと何の関係があるというんだっ!」 篠原が腹立たしげに吐き捨てると、全く関係のない遙香が自分が叱られた ように竦み上がった。その目は篠原と同じく話が見えない不安を色濃く映している。怜司はというと、篠原の恫喝もカエルの面に水とばかりに涼しげ。 「で、枚田先生も強かな方ですしねぇ。死亡フラグが立ってしまった人と、将来が約束された神先生とを天秤に掛けたらどっちを選ぶと思います?」 「神先生が将来を約束されている? あの大人しい奴がか?」 篠原の反撃を待ってましたとばかりに怜司が微笑む。その端麗な面差しに 煌めく光は子供とは思えない程に鋭く冷たい。篠原はこの時になってようやく己がとてつもない者の尻尾を踏み付けていた事を悟った。しかし、それは既に手遅れ。 「ともたんをただの大人しい人畜無害な奴と見誤った時点で、篠原先生の 負けは決定していたんですよ。確かに職員室では大人しいかもしれませんが、外ではそんな事ないでしょ? 敵情視察を欠いていては勝負になりませんよ」 「な……に? お前、一体…… 何者……?」 篠原の背筋を這い上がる冷たい疑問を、目前の美獣は子供っぽい仕草で笑いながら弄ぶ。 「んー、今の理事長と、次の次の理事長の友達、かな?」 「神先生が理事長? お前はさっきから何を……」 「次の理事長は四十代後半で結婚もしていないんですよ。今は確たる跡取りがいない状態なんです。春兄さん、昔から結婚する気が全然なくって…… で、娘孫の、外孫のともたんにその後継の白羽の矢が立った次第」 「外孫……」 「神、なんておめでたくも珍しい面白苗字はそうありませんしね。まさか、 繋がりがあるだなんて普通は思いもしませんよね」 篠原の口許がひくり、と歪んで揺れた。 「ともたんは理事長候補という珍種としてここを卒業し、教師として就いているんです。諸先生方もそれなりの扱いをしてますよね。あれれ、もしかして気付いてませんでした?」 「な……」 「ともたんは自分の言行動が及ぼす影響を弁えているので、極力控え目にしているだけですよ。その本性は先程の突拍子も無い行動なんて朝飯前の、実に おちゃらけたお馬鹿な奴なんですよ」 くすくすと零れる怜司の笑いに篠原の顎が不遜気に撥ねたが、それはすぐに動きを止めた。下から掬い上げるようにして見上げてきた怜司は、篠原の奥の何かをがっつりと掴み捕らえていた。 「用務員が教師を呼び捨てに、しかも愛称で呼ぶ事に対して何もおかしいと思わなかったんですか? おう、という口癖も爺と孫でそっくりでしょう? あ? もしかして本気で気付いていなかったとか?」 「……あ、いや…… その」 「若造を馬鹿にしていると思ってました? 用務員の雑用がてら、理事長の ノウハウをレクチャをしていたんですよ。こういう話、他の先生達の前でおいそれと出来るものではありませんしねぇ」 「……」 「未だに担任に就いてないのは、おっちゃんがいつ何があってもおかしくない年だからなんですよ。若くて不甲斐ないからじゃない。あれでも事のあしらい能力はそこいらの先生の比じゃないですよ。外面で判断しては駄目ですって」 「……」 「そして、子より孫の方が可愛いって世間ではよく言いますよね? そんな 孫の恋敵に爺がどんな感情を抱くか…… ねぇ?」 細められた瞳の動きはとうに子供のそれではない。篠原は既に肯定も否定も出来ない有様でそれを見返すばかり。 「あっ! ついでに。来年には評議員の一人ですから」 「なに?」 「私学法とかいう法律で理事会の下には評議員会を設置しなければならないんですってね。その評議員の資格がその学校を卒業した者や教職員だとか? だから、私学の先生は卒業生が多いんですってね」 「……」 「ともたんと枚田先生。あの二人はこの学校にとっては必要な存在なんです。 篠原先生はその辺の事情…… あ、年契約の講師にはどうでもいい話ですね。すみません」 「いや…… その……」 「これらの格の違いを全て跳ね除け、その顔だけで枚田先生を靡かせる自信があるのでしたら、僕は個人的に篠原先生を応援させていただきますが?」 怜司は花の笑顔で話を締めた。何も与り知らぬ者にとっては無邪気な子供の笑顔。だが、陰に潜む鋭い毒棘の存在を知った者にとっては、危険極まりない笑顔。この花には自分と相容れないものを容赦するという感情はない。篠原は鳴り響く本能の警告に従い、その場から立ち去るより術はなかった。 「美籐先輩…… すごい…… ですね……」 篠原が校舎の角に完全に消えたのを見届けた上で遙香が呆然と呟いた。 「そっかな? これ位の事は、ちょっと裏事情を知っていれば簡単だよ? 中坊如きに言い負かされる底の浅い先生だったのには、がっかりだったけど。もっと噛み付いてくるのかと思って必死で構えてたのにね」 「そういうのは、美籐先輩だからこそ言える台詞ですって……」 理人とよく似た仕草で首を傾げる怜司を前に、遙香は賞賛とも畏怖ともつかない溜息を吐く。この人にだけは何があっても絶対に逆らってはいけない、 遙香は脳裏に深く硬く刻み付ける。 「そうそう、今の話は他言無用だからね」 「も、も、ももも、勿論ですっ! こんな恐ろしい話、絶対にしません!」 遙香は両腕で身を庇いながら上ずった声を跳ね上げる。 「そう? 君も根本的に理人と同じだと思うんだけど?」 「み、みみ、み、見縊らないで下さい! 私も自分の身は可愛いです!」 「なら、いいんだけど?」 「ま、ままま、ま、まか、任せて下さいっ!」 あたふたと焦りまくりながら何度も頷いて見せる遙香に、怜司はやんわりとした柔らかい笑みを浮かべる。 「しっかし、まぁ。何と言うか…… 今回の僕は随分と嫌な、格好の悪い 貧乏くじ引いたもんだよねぇ。ほんと、何気に手の掛かる兄貴分なんだから。もっとしっかりしててもらわないと色々と困るよね」 無邪気な笑顔に激しい脱力感を感じつつ、遙香はおうむ返しで呟く。 「貧乏くじ…… です、か?」 「それ以外に何と言えばいいんだい?」 「はあ、先輩はどこか楽し…… いえっ! 何でもないですっ!」 「ほら、やっぱり君も理人と同じうっかりお喋りさんじゃないか」 「……す、す、すみません。以後気を付けます……」 「さあ、早く行かないと閉会式に間に合わなくなるよー」 「はい」 軽快な鼻歌交じりの足取りの怜司に従う遙香の足元は、どこかおぼつかないものだった。 「4月12枚目に続く」 |
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