「りとりとこりと」(4月10枚目)
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 「これと同じ奴を自分に渡せって…… 篠原先生に指示された」

 怜司の差し出した紙片に目を落とした伴迪は忌々し気に舌を打つ。
その鋭い音に首を竦ませた遙香を顧みる事もなく伴迪は身を翻して行った。

 いつもひよひよと楽し気に笑う伴迪からは想像し難い焦燥感の事訳を求め、
遙香は隣を見遣る。しかし、怜司もまた遙香を見返す事はなく憤然やるせない表情で走り行く背中を無言で見詰めているだけ。次の競技の開始を告げる
楽しげな声と自分の立ち位置がひどく場違いだと遙香は俯くばかりだった。




 「馬鹿野郎っ! いい加減にしろっ!」

 理人の涙交じりの雄叫びは、大歓声の前に呆気なく掻き消されていた。

 「樋口っ! 後で覚えてろーっ! くそーっ!」

 ルールでは自分に触れる事は禁じられている。進行方向に立ち塞がる事も
禁じられている。自分は完全自由の身。それでも、背後から迫り来る怒涛の
声には恐怖しか感じない。これに比べれば身体中にぼこぼことぶつかってくる色とりどりの代物の痛さなんざは屁でもない。

 「競技に出たいとは言ったが、誰がこんなもんに出せと言ったっ!」

  理人はベソ掻き状態で走っていた。その背には玉入れ用の大籠籠。それに女生徒達が手にした玉を投げ込んでいる。百名近い女生徒に嬌声と共に追い
回される小さな男の子。実に壮絶で、お間抜けな光景が大爆笑の輪の中で展開されていた。

 「大城戸君、待ってー」
「理人君、お待ちなさーいっ!」
「もう少しゆっくり走ってよぉ~」
「きゃあ~」
「このチビすけぇぇ~ 待ちやがれぇぇぇ~」

 甲高い声に混じる野太い声が理人の肝をきゅぅぅぅぅっ、と締め上げる。
理人は死に物狂いの必死のぱっちでひたすら走り続ける。捕まったら最後、
それは自分の死を意味すると言わんばかりに。歓声と爆笑を掻き分け、終了の笛の音に向かって走り続けた。




 「大城戸君、大丈夫?」
「全然、大丈夫くないぃ…… あんなごっつい、高等部の陸上や野球部の
男の先輩達もいるなんて聞いてないし。あんな人数だなんて聞いてなかった。
時間も予定より長かった。もう終わりの会まで寝る~ 頼むから寝かせて~」
「あんな先輩達を相手に最後まで走り切るなんてすごいわよ」
「走る位ならいいんだけどさ、あんな騙まし討ちみたいな真似はやめて~」
「ふふ。それに、とっても可愛かったわ」

 並べた椅子の上で横たわる理人を扇子で扇ぎつつ、美桜がくすくすと笑う。

 「可愛いなんてのはね、女の子への褒め言葉だから」
「あら、そう?」
「先生は絶妙な言葉遣いしてると思うぜ、可愛い理人君」
「うっせ! んじゃ、たけうま、お前が出ればよかったんだよ」
「俺? 走りには自信ないし、第一、お前みたいに可愛くないし」
「言ってろ、柔道馬鹿……」

 同級生のからかいに吠えてはみるものの、いつもの威勢の良さはない。
片腕を力無く目に宛がい、もう片方は脇へとだらしなく垂れ下がっている。
ぼろぼろの疲労困憊の状態。

 「大城戸君と亀田君は本当に仲良しさんなのねぇ」
「稚園の頃からの付き合いっすー」
「あら、そうなのね」
「今も昔もこいつは行動も身長も変化がありませーん」
「うるさい。今に見てろ」
「あら、あら。大城戸君はそのま……」
「枚田先生、お願いします」
「は? はいぃ?」

 振り返った美桜の鼻先に突き付けられたのは一つの紙片。驚きで仰け反り
ながら辿ったその先には篠原がいた。

 「借り物競争です。一緒に来て下さい。早くっ!」
「はいぃ? え? ……何ですか? これ……?」

 美桜の肩越しから、横手から紙片を覗き込んだ生徒達からどよめきが沸く。
そこには「惚れた人をお姫様抱っこでゴールすべし」と書かれていた。

 「はぁ…… え? 私ですか? あのっ、えっと、それはちょっと……」
「早くっ! でないと、私が負けてしまいます。早く来て下さいっ」
「いえ、私なんてそんな…… どうかもっと軽そうな方を当たって下さい」

 おろおろと乱れ揺れる扇子の風に煽られつつ、顔に宛がった腕の下から
らしくない剣呑な眼差しで睨み上げるは理人。しかし、次の瞬間にはその腕は振り払われ、露わになった目は上機嫌で大きく見開かれていた。

 「ごめんっ! 枚田先生、こっちっ!」
「えっ? あ、あのっ! ……え? ちょっ! わっ!」

 美桜はコース内へと一気に転がるように引き抜かれていた。その手首を掴むのは、篠原ではなく伴迪だった。

 「神先生……? あの。え? は?」
「いきなりすみません。その紙片、落とすと失格なんで持ってて下さい」
「あの、これ…… これって……」

 紙片を美桜の胸元に押し付けた伴迪は返事も待たずにその膝裏に腕を差し
回し、軽々とお姫様抱っこで抱き上げた。

 「そんな所でだらしなくニヤけるなーっ! 見せ付けるな、馬鹿ともーっ!
とっとと走れっつーの! この馬鹿王子っ!」

 美桜の扇子を拾い上げて振り回しながらの理人の突っ込みに、さっきより
大きくて低いどよめきと甲高い歓声と拍手喝采が沸く。伴迪は柔らかい笑顔を腕の中に落とし、理人に向かって親指を立てる。その顔は悪戯っ子のそれ。

 「そんなどや顔はいらんっ! 一々見せ付けんなっ! はよ行けーっ!」

 理人の裏拳に押されるように伴迪は走り出した。二人が通るに併せて怒涛の歓声の波が広がっていく。振り落とされまいとしてか、羞恥に隠れているのかは分からないが、美桜は伴迪の首にしっかりとしがみ付いている。

 やがて、ゴールした二人はその場に崩れるようにへたり込んでいた。
膝を抱えて蹲る美桜と、その横で大の字に寝っ転がる伴迪。そんな二人を係の生徒達がからかい、先生達も膝を叩いて笑い転げている。

 「うっひょ~お! 何か知らないけど、ともたん、やっるぅ~」

 椅子に乗って同級生達と笑い合っていた理人の身体がふっ、と浮いた。

 「うわっ! 何っ? ……えっ? 篠原先生? 何っ? どうしたの?」
「まあ、この際、お前でも構わん」

 理人はちょっこりと篠原に抱き抱えられていた。先程とはまた違う歓声が
閲覧席から沸き起こる。

 「なんでーっ! 何で俺? 他に可愛い女子がいるだろっ!」
「いいから大人しく黙っとれっ!」
「もう人のネタにされるのは嫌だ~! もうマジ勘弁ーっ! やめてー」

 理人の悲痛な叫びは新たなる大歓声に掻き消されていた。




「4月11枚目に続く」




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