「りとりとこりと」(4月2枚目)
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 「ふうん…… ということは、理人の担任は枚田先生なんだ? 幼稚園の
先生とその受け持ち園児って感じで笑っちゃうね」
「幼稚園児、言うな」
「入学式に神先生に投げ飛ばされた新入生って、やっぱり理人だったんだ」
「驚いた?」
「神先生に投げられた話は驚かない。ともたん、色々と生徒のおふざけに付き合ってやってるし。この学校の先生は年寄りが多いだろ? だから、そういう体力とノリが必要な場ではすごく重宝がられているみたい。少々の羽目外しはお咎めなしって感じだからね。いいガス抜き役ってとこなのかもね」
「ふうん…… そうなんだ」

 理人は踵を両手でぐりぐりと回しながら鼻を鳴らした。向かいには胡坐の
両膝を押し下げて股関節を解している少年、従兄弟の怜司。幼さが全面的に
溢れている理人とは違い、その面差しは年に似合わぬ大人びた雰囲気を帯びている。二人の周りには道着姿の男女が武道場のそこかしこで各々の柔軟体操をしていた。

 「僕が一番驚いたのはね、君が本当に受験して合格出来たって事だよ」
「俺、頑張ったっ! 偉い?」
「でもね、その後が続かないと駄目なんだけど? 大丈夫なの?」
「怜司とともたんの力を借りればいい、って父さんが言ってた」
「あのおじさんあっての君だよねぇ…… 本当に似た者父子」
「ここで頑張っておけば大学受験も何とかなるしだろう、後の人生もそこそこ転がって行けるだろって」
「お気楽人生設計だねぇ…… まあ、これは今に始まった事でなし」

 呆れの溜息を怜司は膝屈伸で送り出す。それを振り払うようにして、理人は伸ばした左肘に右手を宛がって上半身を大きく横に捩っていた。

 「お前が受験すると早くに言ってくれたら、俺は楽が出来たのに」
「何? その屁理屈。ムカつく…… 僕には僕の、君には君の道があるだろ? いつまでも金魚の糞みたく付いて来るなよ」
「別に一生付いて行く訳じゃなし、学校位はいいじゃないか」
「……そういう甘えた考え方が僕には分からない」
「俺、甘えてるか?」
「僕にも周りにも、人生全般に対して甘え切ってると思うよ」
「そっかぁ?」
「これから先、苦労しても知らないよ」

 突然に手を打つ小気味良い音が響き渡り、道場の空気が一瞬でピンと張り
詰めた。一同は座して姿勢を正し「正面に礼」の号令で上座の掛け軸へと頭を下げていた。




 「君に入学式にともたんを『ともたん』呼びされてからこっち、高等部でも『ともたん』呼びされるようになったって知ってる?」
「え? ともたんは、どこでもともたん、じゃないの?」
「違うよ。つーか、その笑い! 確信犯的にやらかしたのかよ?」
「ともたん、怒ってるのかな?」
「さあ? そこに本人がいるんだから訊けばいいんじゃない?」
「……訊き難いからお前に訊いてる、って空気読んでくれよなぁ」
「僕には関係ないもーん」

 組み手の順番が廻ってきた二人が揃って伺うその先には伴迪がいた。
袴姿は長身の伴迪を更にすらり、と際立たせるものとなる。が、その所作に
伴う裾捌きはどこかぎこちなく、いつもの冴えた感じが欠片もない。

 「……なんか変だろ?」
「そうだね」
「理人っ! 怜司っ! 真面目にやらんのなら出て行けっ!」
「はいっ!」
「伴迪も気合入れろっ! ちびっこ共の気が散るだろうがっ!」

 道場師範の雷のような怒号に道場の空気がびりりと震えた。




 「しん、せんせー せんせー、先生様~ 神先生~」
「……」
「あれ? おーい、神先生~ とーもーたーん~」

 稽古終了と同時に二人は正面に座したままの伴迪へと駆け寄った。いつもはすぐに相手をしてくれるのに、今日に限ってはむっつりしている。

 「ともたん?」
「おーい、理人。道場閉めるぞー、早く出ろー」
「後で俺が閉めるー もう少しここにいるー 怜司達と遊ぶー」
「じゃあ、ちゃんと戸締りしとけー 鍵はいつものここなー」
「はーい」

 明るさのさっぱりない伴迪の前に屈み、二人はその顔を覗き込む。

 「腹でも壊してんのか? 何か悪いものでも食ったのか?」
「ともたんが塞ぎ込んでるなんて気持ち悪いんだけど」
「天変地異の前触れか?」
「言いたい放題言ってくれる……」
「何も言わずにへちゃれてる人に言われたくはないんだけど?」
「怜司、お前は揚げ足取りだけは一級品だよなぁ」

 伴迪は正座から胡坐へと足を崩しながら苦笑する。

 「……いや、なんでもない。気にすんな」
「なんでもなくない顔して、なんでもない、なんて言うなー!」
「お前らに言っても、どうしようもない事だからなぁ」
「そんなの、聞いてから俺が決める事だ。馬鹿にすんなー」
「この場合は理人の方が正論かな? お金の相談は絶対に無理だけど、聞いてあげる事位は出来るかな?」
「怜司のその微妙に上から目線な物言い、相変わらずだよなぁ」

 しれっ、とうそぶく怜司の様子に伴迪は乾いた笑いを零す。

 「何があった。どーした、こーした、あーした、あさって、しあさって」
「……理人、お前のアホっぷりも相変わらずだな」
「だったら、ともたんも相変わらずな調子で話せばいい」

 にぱっ、とした能天気そのものの笑顔に伴迪は諦めたように口を開いた。

 「俺、お前が羨ましくて仕方ねぇんだわ」
「俺が原因? 学校でともたん呼びしたからか? ごめんっ!」
「そんなことでうじうじ悩む俺じゃねぇよ。馬鹿にすんな」
「……?」
「理人に関係してともたんをそこまで悩ませる事? 思い付かないなぁ」
「ああ、もうっ! 勿体ぶらずにはっきりと言いやがれっ!」

 理人が畳を両手で打ち付けると、伴迪は弱々しい笑みを浮かべた。

 「枚田先生が担任でいいな、って」
「……」
「……」
「……怜司。俺、幾つだっけ?」
「花の中学一年生、来月になったら十三歳」
「担任を羨ましがるのって?」
「幼稚園か小学生」
「だよなっ!」
「だよねっ!」

 二人は後頭部を打ちつけんばかりの勢いで後ろ向きにひっくり返り、身を
捩って笑い転げ始めた。まるで別の生き物のように身体をうにうにと這いずり回りながら参った、参ったと畳を叩き上げる音が道場内に響き渡る。

 「ええ~? もしかして、ともたん。枚田先生が好きなの?」
「え? なんか意外~ ともたん、ああいうのが好みだったんだ?」
「悪いか?」

 二人が腹這いのままで見上げた伴迪の眉間には深い皺が刻まれている。
引き結ばれた口はむっつりとした不機嫌を咥えている。

 「いや、悪いなんて言ってないしー 俺に八つ当たりなんかすんなよなー 心配して損したー」
「理人。それって嫉妬だよ。うわぁあ、男の嫉妬なんて初めて見たかも~」
「じゃあ、俺や教科受け持ち全員、神先生に嫉妬されるって訳? うわっ! たまんねー めっちゃ暑苦しー」

 更に畳をバシバシと叩き、足をバタバタと振り回して二人はゲラゲラと笑い転げた。

 「女子が恋愛話にきゃあ、きゃあとうるさく言う気持ちってこんなのか? めちゃめちゃ面白い~ ひー、苦しい~」
「理人。後で覚えてろ……」
「笑ったのは俺だけじゃないしー」

 理人は伴迪の睨みを軽快に立ち上がって躱すと、開けっ放しの道場の戸を
閉めた。そして、その戸口横の冷蔵庫からお茶のペットボトルを抱えて戻ってきた。

 「これでも飲みながら話を聞かせてよ」
「じゃあ、ついでに僕も話位は聞かせてもらおうかなぁ? まずは馴れ初め? 何がどうして、どこで枚田先生を気に入った訳?」
「去年の全校奉仕作業の時。確か、怜司、お前も居た筈だ」
「ああ、あの時…… え? あの時、何かそういう事あった?」

 怜司は腕組みをして天井を見上げながら考え込み始めた。

 「枚田先生ねぇ…… ああ、そういえば。堆肥の山からミミズや芋虫やらがどっちゃあ~と出てきた時に実に冷静に対処してたのには驚いたかな?
ともたん、これで呼ばれて来たんだったよね? それ以外、これと言って…… ええっと、バケツの荷物が重いなんてめそめそ言うのは普通の事だし…… そんな事でともたんが落せる訳なんてないしぃ。何かあったっけ?」
「……それだよ」

 ぼそり、とした返答に怜司が上ずった声を張り上げる。

 「ええっ!? あのカエルを何匹も手のひらに集めて池に投げ込んだり、
ミミズを土に埋め戻すなんて平気でやらかしてたあれ? 普通の女性は悲鳴を上げるのが当然のあれ? あの時? あの場所?」
「あの場所? 怜司、何、それ? 何? 何?」
「学校の裏に落ち葉を集めて堆肥発酵させてるくっさい場所があるんだ」
「……なんとも臭う思い出だな、それ」
「だろ?」

 二人はまた畳の上で弾け飛ぶポップコーンと化し、放しの続きを催促した。

 「同期で入った時からおっとりとした可愛い人だなとは思ってたんだ」
「はいはい、おっとりな先生だよね」
「あんな風に変に動じる事のない、にこやかな笑顔にやられた! と思った」
「はぁ? ただの田舎育ちの慣れかなって感じだったけど?」
「そういうもん? そんなもので急に人を好きになるものなのか?」
「世の中ではあまり一般的じゃないよね」
「だよなー」
「これが世間一般的にどうかなんて、俺は知らん」

 子供達の指摘に伴迪はぶすっと呟く。

 「ともたん、今まで誰かと付き合ったりした事はないの?」
「ない」
「二十六にもなってないのぉ? 苑良にぃだって……」
「苑良と一緒にするな。俺にも色々とあって、ねぇんだよ」
「その顔で? 勿体無ぇ~……」
「うわぁ、ある意味、世の野郎共には嫌味に近いかも~」
「ともたん、なんかの病気? それともそっち系の人だったのか?」
「うるさいっ! 大きなお世話だっ! 俺は普通だっ!」

 伴迪が声を荒げることで気まずくなった場を取り繕うように、怜司が明るい声を上げる。

 「枚田先生って授業は丁寧だし、怒る頃はびしぃっ、と物申すって評判。
芯の部分は外見とは違って、ぽやぽやしてないんだろうね」
「へー 枚田先生って、そんなにすごい先生だったのか?」

 理人が目を丸くすると、怜司はじとりと横目で睨め付ける。

 「この学校の先生になれるって事自体、すっごい事なんだよ」
「ともたんでも先生やってるけど?」
「でも、言うな。でも、と…… 俺に喧嘩売っとんのか?」
「ともたんは系列の教育学部のマスター卒業を機にここに呼び戻されたの。
枚田先生も案外、ともたんと同じ口なのかもね。大卒でストレートに入って
来たのだとしたら相当な才媛だよ」
「へー」
「あー、まあ、俺の裏事情を言えば、理事長が祖父だったりするしな」
「だね」
「それって、思いっきりコネ就職じゃねーかっ! みっともなっ!」
「そういう言い方は良くないよ、理人」

 伴迪はのほほんと笑っているが、このご時世での私学は凡庸な者を軽々しく採用はしない。その辺は世事に疎い理人でも理解出来る。伴迪が急に大きく
見えてきた理人はいつしか口を尖らせていた。

 「しかし、カエル、ミミズ、芋虫が恋のキューピットかよ? 世も末だな」
「せめて今風にギャップ萌とか言ってやれないの?」
「で、俺はどうすればいいんだ?」
「分からん」

 理人の問いに伴迪は肩を竦めて返すだけ。

 「……なんだよ、それ…… 神先生、しっかりしてよぉ~」
「それが分かったら、自分できっちりと動いとぅわっ! ぼけ」
「だよね~ 十三も年下のガキに恋路相談する大人なんて聞いた事ないし」
「悪かったなっ!」

 伴迪は再び弾けた笑い声とお茶を一気に煽った。ヤケ酒ならぬ、お茶の自棄飲みも苦いんだなと伴迪は薄く笑うばかりだった。




「4月 3枚目に続く」




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