「りとりとこりと」(4月1枚目)
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 「ともたんっ! とぉ~もぉぉ~たぁ~ああん~」

 桜の花びらがうららかに舞う中、素っ頓狂な大声が張り上がった。
それは体育館から出て来た新しい制服の中から、ぴよぴよと上がっている。
場を全く弁えない大声に二つに割れた人垣の真ん中で飛び跳ねているのは、
小柄な新入生男子。可愛らしい太目の眉がその幼さを妙に際立せている。

 「理人っ! 黙れっ! この小鳥の、こりとがっ!」
「俺は小鳥じゃねぇっ! りと、だっ! 理人!」
「ここでその名で呼ぶなっ! ここは道場じゃねぇっ!」

 遙香の脇を駆け抜け、騒がしい新入生を一撃で殴り倒したのは若い男教師。すらりと背が高く、精悍な面構えはまずまずの及第点。

 「何故、お前がここに? 恵梨ちゃんが飛び級したのか?」
「何で恵梨なんだよっ! 恵梨は来年っ! 俺は今日からここの生徒だっ! 見ろ、ちゃんとここの制服を着てるだろうが!」
「馬鹿理人が? 裏口入学か? いや、ただのおふざけか?」
「ふっざけんなっ! 俺だってやる時は、やるんだっつーの!」

 若い教師はぶんっと掛かって来た腕を逆手に吊り上げ、それを上から下へと斜め後ろに払い流した。新入生も突然の投げに全く動じた風もなく、滑らかな受身で難なく身を起こす。それは呼吸の合った演武の動き。唖然と成り行きを眺めていた生徒達の間から感嘆のどよめきが沸く。

 「伴迪(ともみち)、なかなかやるなぁ~」
「ああ、師範」
「父さん」

 遅れて体育館から出てきた保護者の間から、小柄ながらもがっしりした男が現われた。可愛らしい太眉が二人の繋がりを無言で主張している。傍らで埃を払う息子の首根っこをがっつりと掴み、男は若い教師に丁寧に頭を下げた。

 「今日からこのぼんくらが世話になることになった。よろしく頼む」
「あ、はい…… でも、理人がこの学校を受験したとは聞いてませんが?」
「落ちた時に格好悪いんで黙ってた。で、お前を驚かしてやろうってな」
「はは。そういう訳…… しかし、よく馬鹿理人が受かりましたねぇ。これが恵梨ちゃんならば驚きはしませんが」

 若い教師の呆れ半分、感嘆半分の笑みに男は不遜な笑みを返す。

 「ああ…… 去年、怜司の奴がいきなりここに入っただろ?」
「なるほど、追い掛けて来たって訳で…… どんだけ好きなんだかってね。
だったら、師範達は相当な苦労をされたのでは?」
「普通に公立に行くとのんびりしてた分、相当に悔しかったみたいでなぁ。
この一年で知恵熱が出る位に勉強した」
「知恵熱って…… しかし、相変わらず仲が良いというか、何というか…… 馬鹿もここまで極まれば大したものですよね」
「従兄弟同士、仲が良いのは悪くないが…… また下手に追い掛け回して、
キレた奴にこっぴどくやり返されるのがオチだろう。全く、鳥頭で学習能力が無いったらありゃせん」
「でも、学年が違えば、そう接触があるかは分かりませんが?」
「こいつがそういう所に頭が回るような奴だと思うか?」
「思いません」
「ともたん、余計なお世話だっ! で、怜司の教室ってどこ?」

 若い教師はきゃんきゃんと喚く低い脳天を掴んで顔を寄せた。にこやかさに溢れているが、その瞳は全く笑ってはいない。

 「ここでは俺は教師だ。お前の合気道仲間じゃねぇんだよ…… だから、
その『ともたん』呼びはするな。ここではな、神(しん)先生と呼べ」
「ええ~ ともたんは、ともたん、じゃないか?」
「黙れっ! この脳みそ小指の小鳥ちゃんがっ!」
「少しでかいからっていい気になるなっ! 馬鹿とも!」
「ここでのお前は俺よりも格下なんだよ。俺はお前の せ、ん、せ、い、様、なんだよ。礼儀を知れ。おチビちゃん」
「くそう…… 馬鹿にしやがって~」
「馬鹿に馬鹿だ、と親切に言ってやる俺って優しいだろう?」
「誰が優しいって? あ?」
「あらあら、大城戸君。神先生とお知り合いだったの?」

 漫才のような成り行きを見守るだけの遙香の背後から、ほわほわとした笑い声が現れた。

 「あ、枚田先生」
「随分と賑やかだなぁ、と思ったら…… 楽しそうですわね」
「つい馴染みの顔に気が緩んでしまい、お恥ずかしい所を……」

 若い教師があたふたと頭を下げるは、ミルクティー色のゆるふわ髪の若い女教師。中学校ではなく、幼稚園の先生の間違いなのでは? とついつい言ってしまいたくなる程の柔らかい空気をその身に纏っている。

 「大城戸君。お遊びはこの辺で切り上げて教室に入ってちょうだいね。
神先生にはまた後で遊んでいただきましょうね」
「はーい」
「はぁい、じゃあ行きましょう」

 幼稚園児よろしく手を挙げて後に続き掛けた低い肩を男教師が引き留める。

 「おい! お前、枚田先生のクラスだったのか?」
「うん? そうだけど……? どうかした?」
「そうか」
「つーかっ! 新入生点呼の時に気が付かなかったのかよ? 俺の名前って、そうそう平凡じゃないだろ?」
「俺には関係ないと居眠りこいてた。俺、担任持ってないし」
「担任にもなれないってかっ! そんなで先生と呼べと偉そうに言うなよな! 馬鹿とも!」

 飛び上がって肩口に裏拳を入れられても、男教師は先程のような反撃をする事はなかった。薄紅色の中を校舎に向かうほんわかとした後姿をぼんやりと
見送っているだけだった。

 それが、遙香が見た最初の春の光景だった。




「4月2枚目に続く」




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