「ACUTE」(黒うさ様 「ACUTE」より)
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 「……うん。バイト先のみんなとカラオケで夜明かしかなって笑ってる所。
……うん、うん。心配してくれてありがとう。じゃあ、また……」
「こんな時間に誰?」
「ミク。こんな急に豪雨になっちゃって大丈夫か、って……」
「相変わらずマメだなぁ」

 背後で揺れる苦笑に対し、ルカは携帯電話をしまいながら溜息で応える。

 「私、こうやって嘘を吐くことに慣れていく自分が怖いんだけど……」
「……」
「親の事業の借金の形に婿養子の強制…… なんとも時代錯誤な話よねぇ」

 ルカが精一杯の皮肉を込めて振り返った先には、表情を隠したカイト。
すらりとした長身に甘く整った顔立ちは、見る者を惹き付けて止まない。
激しい雨が窓を打ち鳴らす音は二人の間にそこはかとない不安を掻き立てる。

 「でも、それが見知らぬ女ではなく、幼馴染みというのは悪くないわよね」
「……」
「そして、あなたのためだけに、彼女はずっと一生懸命に自分を磨いてきた。
可愛くない訳はないわよねぇ?」
「俺には…… あの直向きさが怖くて仕方がないんだ。どこか浮き世離れした
お人形のような…… そんな底知れないものが時々無性に怖いと思うんだ」
「その幼気なさが可愛くて仕方がない、の間違いでしょう? 同性の私ですら
可愛いと思うのに、その矛先が向けられているあなたが怖いだなんて嘘よ」

 言葉に窮して黙り込むカイトに対し、ルカは薄く笑って言葉を投げる。

 「今、ここで私と彼女のどちらかを選べる?」
「お前は?」
「私?」
「お前こそ…… 幼馴染みと俺、どちか一方を選べるのか?」
「……選べない。あなた達は私にとって大切な幼馴染みだもの」
「だろう? だから、今はまだこのままで」
「でも……」
「どうしようもないんだよ。今は時が来るのを待つしかない」
「でも…… それって……」

 カイトは結論の出ない問答とルカの身体を一緒に傍らのソファにねじ伏せ、
首筋に唇を這わせ始めた。最初はわずかな抵抗を見せたものの、それに応えて
溺れ始めたルカの吐息に呟きが混じる。

 「私達、どこで歯車が狂ってしまったのかしら……」




 雨音に濡れる薄闇を引っ掻く音がかちゃり、と響いた。

 「――っ! ミク?」
「ミク…… どうしてここに……? 何故入ってこられたんだ?」

 突然の訪問者にソファから身を起こした二人が狼狽の色に塗れる。
薄暗いリビングのドア口には、佇む一人の少女。その眼差しに光はない。

 「ここはオートロックマンションなのに? そんなの、お父様に言えば何と
でもなるわ。だって、私達は婚約者同士ですもの。合い鍵位は当然でしょ?」
「……そんなこと、いつの間に」

 豪雨の中を来たことを語る滴の垂れる前髪。その下の瞳の色は鋭く冷たい。
清楚でいて快活な、誰からも愛されるお人形のお嬢様はそこにはいなかった。

 「ところで、ルカ。あなたは何故ここに居るの?」
「そ、それは……」
「帰りにたまたま会ったんだ。この雨では電車も止まってるだろ?」
「嘘」

 話に割り入るカイトをぴしゃりとミクの低い声が遮る。

 「全部、嘘。私は知っているのよ」
「何を?」

 とぼけて問い返すカイトを無視し、ミクはルカを見据えていた。

 「ルカ。あなたがカイトに色目を使ってたのを私が知らないとでも?」
「……」
「あなたは私達の幼馴染みで…… 他の誰より私達を祝福してくれてるものと
思ってたのに…… 信じてたのにっ!」
「……」
「どうして、そんな泥棒猫みたいな真似をするのっ! 酷いわっ!」

 ミクの炸裂した声は、鋭い痛みとなってそれぞれの耳と胸に突き刺さる。
誰もが言葉を失う中、ルカが意を決したように顔を上げた。

 「ミク、あのね…… 聞いて?」
「いつも私の話を聞きながら…… その泥棒仮面の下で笑っていたのね?」
「違うっ! 私もずっと苦しかったの。私も苦しくて仕方が無かった……」
「私も苦しい、ですって? 違うわっ! 勘違いしないでよねっ! あなたが
私達の間に踏み込んで来なければ、誰も苦しまずに幸せでいられたのよっ!
それを今更になって…… 何故、私達の幸せを壊す真似をするのよ」
「よせっ! ルカは悪くないっ! 俺だって!」
「カイト、駄目っ! それを言っては駄目っ! やめて、お願いっ!」

 ルカの鋭い叫びが奔る。しかし、それを見返す瞳は静かで真っ直ぐだった。

 「何…… 何なの……? どうして二人がお互いを庇い合うのよ?
それってどういうこと? ねえ、カイト? カイトってば……」
「……」
「あなたは私のことだけ見ていれば、見てくれていたんじゃないの……?」
「……」

 苦しげに逸らした視線と沈黙が質問への回答となった。ミクはわずかに首を
振りつつ現実を空虚に掻き回す。しかし、何も変わらない。何も動かない。

 「許さない…… 私の、私だけの…… 私だけのあなただったのにっ!」
「俺は…… ただの道具、いや、奴隷扱いだからな」
「っ!」
「事業に失敗して落ちぶれた俺の家は、格式が喉から手が出る程欲しかった
成金の君の家に飲み込まれた」
「どういうことなの……?」
「君の夫として、君の家に箔を付けるためだけに俺は存在を許されてる。
俺は生きた飾り物でしかないんだよ」

 自嘲気味に荒く吐き捨てられた言葉の衝撃にミクはよろりと後退る。それを
気遣う風もなく、見返すカイトの目は酷く冴えたものだった。

 「……嘘」
「君が気に入った幼馴染みの俺が、君の親の思惑にぴったりだったことが
不運の始まりだった」
「……」
「急に不可解なまでに俺の家が傾いたのは、君の親が糸を引いていたんだよ。
君が俺を見初めたりしなければ、俺の家族はバラバラになることはなかった。両親も妹を道連れに心中することもなかった」
「事故じゃなかったの? それで、お父様があなたの後見人となって……
そして、私と婚約を……」
「表向きはね。でも、俺はどうしてもその事故が腑に落ちなくて調べ上げた。
結果がこれだ。俺は莫大な借金の片として親戚一同から売られたのさ。君の
お人形としてね」
「それって、それって…… 私が……? 私はどうすれば……」
「それは俺じゃなく、君のご両親に尋ねる方が早いだろうな」
「違う…… あなたは……? あなたは?」

 ミクは縋るような目をして両手を胸元で握り締める。その指を優しく解き、
救いをもたらしてくれる手を求めてその目は潤んでいた。

 「俺自身は君のものになった覚えなんてないし、これからもなるつもりは
全くない」
「そんな……」
「借金を自分で何とかすると言い切れなかったこと、俺はずっと後悔し続けて
いた。そして、君のことをずっと…… 可哀想に思っていた」
「可哀想……? 優しくしてくれていたのは、ただの同情だったってこと?」
「……」
「今なら君もやり直しがきく。俺よりも君に相応しい男は一杯いる筈だ。
君が俺を見限れば、君の両親はまた別の体のいい男を見繕ってくるだろう。
俺はこれから一生を掛けて借金返済をしていくつもりだ」
「ルカと一緒に?」
「……」

 今度の沈黙はきっぱりとしたもので、その瞳に宿る光には揺るぎがない。
ミクはむずかる幼児のように頭を抱えて左右に振りながらよろよろと後退る。
そして、がくがくと笑い始めた膝を抱えてその場に蹲ってしまった。

 「ミク……」
「触らないでっ!」

 寄って来たルカの手を激しく払い飛ばし、その勢いでミクは立ち上がった。
ギラギラとした底光りを宿す瞳の色と、全身から滲み出る凄まじい気にルカは
竦み上がる。こんな別人のような幼馴染みの姿は今まで見たことがない。

 ミクはふらふらとカイトへと歩みを進めた。カイトは微動だにしない。
沈黙という名の壁を乗り越え、ミクは全身の体重を預けるようにしてカイトの
胸へと雪崩れ込んだ。

 反射的に抱き留めたカイトの瞳が不意に、不自然な形に大きく見開く。
その眼前に掲げられた手はべっとりとした鮮血に塗れていた。その手でミクの
身体を押し返したカイトは、深々と左胸に埋まるナイフの柄を信じられないと
した表情で見下ろしていた。

 「あ…… ミク、君は…… どうしてこんな物を……」

 カイトはゆっくりと膝から床に崩れ落ちた。静かに床に広がるは赤い海。
立ち竦む少女達へとカイトは震える手と瞳を差し伸ばす。が、無情にも手は
力無く沈み、見開かれた瞳は深い闇の深淵を覗いて光を失っていた。

 その視線と指先の行く先がどちらであったのか。その最後の瞬間、カイトが
どちらの少女を求めていたのかは永遠の謎として消えた。

 「いやぁぁぁぁっ! 嘘っ! 嘘っ! 嘘でしょっ! こんなことって、
こんなことってないわよっ! ……早く、早く来てっ! 彼を助けてっ!」

 半狂乱で救急車を呼ぼうとしたルカの声と動きがぴたりと止まった。

 「……み、ミク……? ちょ、ちょっと…… えっ?」

 ミクは俯せになったカイトの身体をひっくり返し、その胸からナイフを引き
抜いていた。血が滴るナイフの鈍い輝きがぎらりと薄暗い部屋を駆け抜ける。
返り血を全身に浴びたミクの妖艶さと異常さにルカは冷たい息を呑む。

 「ミク…… あ、あなた。い、一体、何を……」

 ルカの呼び掛けにミクがゆっくりと腕を上げた。その手に握られたナイフは
不穏なきらめきを宿して輝いている。

 「ミク、やめて。お願いだから、やめて、そんなことしないで……
お願いだから、やめてっ! お願いよっ!」

 ナイフが向かった先はルカではなかった。ナイフの切っ先はミクの首筋に
宛がわれている。ルカの懇願をミクは静かに笑った。

 「あなたを殺すとでも思った? 残念ね。そんなことする訳ないじゃない」
「え?」
「彼と一緒に逝くのはあなたじゃない…… この私」
「ミク…… な、何を……」
「私だけが彼の全てを持って逝くのよ…… あなたには『思い出』すら残して
あげない。私と彼のことは思い出したくもない『記憶』としてあなたの中に
永久に残る。あなたはこのまま生きて苦しむといい」

 逆手に持ち替えられたナイフが躊躇いも無く白い喉元へと沈み込む様を
ルカは為す術もなく見送った。悲鳴すら上げられない壮絶な光景に腰が抜けて
立つことも出来ない。カイトの傍らに横たわったミクは満足げに笑っていた。

 血の塊と共にごぽりと溢れた言葉がミクの最後となった。

 「彼は私のものよ」

 何事かと応答を求めてひっきりなしに叫んでいる携帯を握り締めたまま、
ルカは冷たい天井を見上げて涙を流し続けていた。





 黒うさ様
 『ミク×ルカ×カイト』ACUTE『オリジナル曲PV』 より



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