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 「君は君の誇り」
 「あんたが青い目の男(ひと)を連れて帰ってきたりしたら、友達の縁を切るからね。分かった?」
「今に始まった訳じゃないけれど、何を言い出すのかと思えば…… こういう時は、涙、涙で 『元気でね、お仕事頑張って。身体には気を付けてね』が普通でしょう?」
「どうせ私は変ですよ…… でも、本当にそんなことしたら友達の縁を切るからね。 ちゃんと一人で帰ってきなさいよ。分かった?」
「たかだか一年そこらでそんな男(もの)が捕まえられるとは思わないけどね。第一、私は遊びで行くんじゃないのよ。仕事で行くの、仕事。そんな暇なんてないわよ」
「ううん、そんなもの、いつ始まるかなんて分かんないわ。そんでもって一気に…… だから、いい? ちゃんと一人で帰ってきてよね」
「はい、はい」

 由衣は筋の通っていない事を捲し立て、一人膨れていた。対する美奈ちゃんは、この手の会話には充分過ぎる程に耐性を持っているので、ゆるいソバージュの髪を掻き揚げながらはぐらかすように笑っている。あいつの扱いで彼女の右に出る者はこの世には存在しないだろう。それはこの俺が全面的に保証する。


 国際線ロビーにはどこから沸いて出てくるのかと思う程の人でごった返していた。今は観光シーズンから外れているので、きらびやかな女の子の集団や家族連れの姿はなく、スーツ姿の男達が忙しげに行き来していた。

 美奈ちゃんは入社二年目にしてニューヨーク勤務を命じられた。学生時に取った資格が今回の選抜の条件にたまたま適っただけだ、と笑っているが、この一流企業に実力で入社を果たした美奈ちゃんのことを考えると、この言葉は謙遜以外の何者でもない。


 「じゃあ、後藤さん、頑張って! 向こうのボスは随分と偏屈者らしいわよ」
「OK。まっかせなさい」
「何か困ったことがあったら連絡してちょうだいね。愚痴でも何でも聞くわよ」
「ええ、その時はぴっちりと書きなぐって送ります」
「後藤さんがいなくなると俺、寂しいなぁ……」
「あら、葉山さん。それってなんか意味深ですよぉ」
「どうせ俺はこういうどさくさにしか紛れることが出来ない奴さ……」
「葉山さんも後藤さんの後を追ってニューヨークへ行けばいいじゃないですか」
「あ、それは無理。俺にはそんな実力ないもの…… 所詮、後藤さんは俺にとっては高嶺の花なのさ……」

 美奈ちゃんが同僚達と雑談を交し合っているのを、少し離れた所で見遣りながら俺達は佇んでいた。由衣が大人しく俺の陰に隠れるようにして黙り込んでいるのを不審に思ってその顔を覗き込んだ時、雑踏の中に佇んでいる人と図らずも目が合ってしまった。

 先に視線を逸らしてしまったのは俺の方だった。



 送迎デッキに上がると、痛い位に青い空が目に沁みた。

 青と白の飛行機がその巨体にも拘らず、ふわりと軽やかに宙へと舞い上がる。 赤と青のずんぐりとした貨物用の飛行機がやれやれといった感じで着陸して来る。七色をした直線系の飛行機が勢いよく飛び上がって行く。大小様々な色形の飛行機が、滑走路のあちこちに艶やかな花のように咲き誇っていた。俺達のすぐ目の前にはしなやかなラインの白いジェット機が離陸の時を待っていた。

 飛行機に群がる小人のような作業クルー達や整備用カートが忙しげに立ち回り、荷物用のフォークリフトの甲高いシグナル音がその間を器用に素早くすり抜け、腹の底に響いてくる低いタービン音がその活気をより一層煽り上げていた。

 やがて、作業クルーやカート類が一斉に飛行機の周りから退出し、乗降タラップがゆっくりと機体から離れ始めた。今まで低かったタービン音が急に甲高いものへと変わり、その放出する熱のせいで向こう側の景色が陽炎のようにゆらゆらと揺らぎ始めていた。そして、その機首をゆっくりと回頭し始めると、それはまるで蝶が羽を広げて動かす様を連想させた。


 「ねえ、拓」
「何だ?」
「抱いて」
「は? 何を……」
「早く、早くっ! 美奈が行っちゃうじゃないっ! これじゃ、私は見えないのっ!」
「……はい、はい。でも、美奈ちゃんがこっち側に座っているとは限らないぜ」
「絶対にこっち側に座ってるっ! だから、早く抱いてよっ!」
「はい、はい…… いいか、あんまし暴れんなよ。いいな?」
「いいから、早くしてっ」

 俺は由衣の小柄な身体を抱え上げて手すりの上へと座らせ、その腰を支えた。 由衣は俺の襟首を片手できつく掴み、もう片方の手を狂ったように振り回し始めた。

 美奈ちゃんを乗せた白い飛行機は、静々と滑走路へと進み出て来た。そして、今までの滑らかな動きから、つっかえるように機体を小さく震わせたかと思った瞬間、甲高い音と共にそれは猛スピードで走り出した。それは一呼吸もしない内にふわり、とその巨体を虚空へと舞い上がらせていた。舞い上がるとそれは緩やかなラインを描きながら大きく旋回し、徐々に蒼穹へと溶け込んで行く。


 「由衣……」

 白い染みと化す飛行機を食い入るように見上げている肩口へと声を掛けると、  俺の頭はぎゅっ、と強く抱え込まれた。低く押し殺した嗚咽が耳許で途切れ途切れに聞こえる。美奈ちゃんを乗せた飛行機はもうどこにも見当たらない。また別の飛行機が飛び立ち、そして舞い降りて来るばかりだった。

 行く人、来る人、帰る人、帰ってきた人、様々な人が、この瞬間もこの場所ですれ違っている。時間と同じで止めようのない永遠のドラマを演じながら……

 「よし、よし…… 由衣は偉かったなぁ…… 美奈ちゃんの前でいつ泣き出すかと俺はヒヤヒヤものだったんだぞ」
「馬鹿ね…… 何も分かってない……」

 由衣は俺の頭を離すと、少し拗ねたように頬を膨らませた。

 「分かるさ…… お前は美奈ちゃんが行ってしまったことが悲しいんじゃあない。 お前は美奈ちゃんが今回の事をどれだけ強く希望したのかを知っているからな。 いつものお前だったら、今回のことを一番に喜んでいる筈だ。そうだろ?」
「……」
「お前がどれだけ泣いても時間は戻らないし、感情なんてのは時間と同じで誰にも止められないものなんだよ。それ位のことは…… 分かるよな?」
「……」
「それに、こういう道を選んだのは他の誰でもない、美奈ちゃんなんだ。俺達はさ、神様じゃなんだから、人の人生に対してどうこう言えるような立場じゃないんだ…… どうしようもないんだよ」
「…… 美奈はあんなに水越さんのことが好きだったのに…… 一体、どこで何が 狂っちゃったんだろう……?」
「いいか、由衣。人生なんて一本の平坦な道じゃないんだ。何の苦もなく歩いている奴なんていないんだよ。いつだって、どこだって足許に何か転がっているんだとさ。今の場合、それが……」
「まるで人を石ころみたいに言うのね?」

 由衣は今までの膨れっ面を萎ませるような、弱々しい笑顔を浮かべた。

 「そういうつもりは毛頭ないんだけどな…… しかし、何だ。美奈ちゃんは強いよ。普通だったら崩れていたっておかしくないのに、颯爽と自分の道を行くんだから…… お前には到底無理な話だろうし、俺にも出来るかどうか分かったもんじゃあない」
「……」
「だから、俺達はこういう選択をした美奈ちゃんに精一杯の拍手を送ってやろうな。これから先、どんなことがあっても、誰にも、何にも絶対に負けないように、な?」
「うん…… 分かった…… でも、でもね……」

 由衣はまた俺の頭を抱え込んだ。耳許では何も感じなかったが、頬から首筋に 微かにかかるものに俺はその全てを聴いていた。



この街の隅で君のことを誰かが思っている
拍手に似た見えない声援(エール)を送りながら
悲しい日も淋しい日も 君には君がいるよ
怖がらずに君が信じてる君になればいい




 送迎デッキのガラスドアに手を掛けた時、不意に由衣が後ろに向かって深々と  頭を下げた。その先には送迎デッキの隅っこで蒼穹に溶けてしまうのではないかと思う程にひっそりと微笑んで佇んでいる水越さんがいた。

 その背後でまた一つ、飛行機が大空へと旅立って行くのが見えた。

 俺達に掛ける言葉は何もなかった。その微かに浮かぶ微笑に、語るべき言葉は 何も必要ないように思えたから。俺達はただ黙って、揃って頭を下げるのみだった。



この街の隅で君のことを誰かが想っている
愛っていう切ない声援(エール)を送りながら
傷付く度つまづく度 弱さを責めるけれど
君の他に誰にもなれない君は君の誇り


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