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 「年下の男」
 「へぇあ〜るぅ〜かぁ!」

「あ、ジョディさん。こんにちは」

 ニンジン畑で大きく手を振っているのは、肝っ玉母さんそのものといったおばさん。青々と繁ったニンジンの葉をわさわさと踏み越え、ジョディおばさんはやって来た。 そして、大きなエプロンのポケットから一通の手紙を取り出した。

 「へるか、この手紙を馬鹿息子の所へお願いね」
「確かに、お預かりします。おばさん、息子さんを馬鹿呼ばわりは酷いですよ」
「いいの、いいの。月一でしか手紙を寄越してくれない息子は馬鹿息子でいいの」

 ジョディおばさんは、悪戯っぽく肩をすくめるようにして笑った。

 「へるか、その後ろにはまだ物が乗せられるかい?」
「え…… ええ。多少のものなら大丈夫ですよ」
「そうかい。じゃあ、ついでに頼まれておくれよ」

 おばさんは足元のニンジンをぐいっ、ぐいっと引っ張り上げ、ぱんぱん、と土を叩き落すと私のスクーターの後ろへとどかっ、と乗せた。

 「……あの?」
「これをこの先のアンナの家へ、双子ちゃん達に届けてやってくれないかい?」
「はい」
「いつもすまないね」
「いいえ、ついでですもの。あの子達もおばさんのニンジンだったら、大喜びですよ。じゃあ、また」
「ああ。気を付けて行くんだよ」

 私はおばさんに会釈をするとスクーターを走らせた。

 パステルで描いたようなのどかな牧草地帯を、私はぷるぷると走っている。ここは私にとっては異国の地。でも、ここは私の心の故郷。

 私は学生時代、この地を訪れた際に不意の風邪で倒れ込んでしまった。その時、この村の人達は我が事のように心配して私を看病してくれたのだ。一週間程で私は回復して帰国したが、この村のことが忘れられず、とうとう卒業を待ってこの村へと舞い戻って来た。私はこの国の言葉、文学を専攻していたので、更なる勉強のためにと両親を説き伏せるのは簡単だった。

 幸いなことに、この村の人達は私を覚えていてくれて、再び訪れた私のことを歓迎してくれた。しかし、朝夕一本の汽車が唯一の交通機関という田舎村にあっては、まともな仕事なぞあろう筈はない。自分の馬鹿さ加減に頭を抱えたその時、この村の駅長であり、郵便局長でもある村長夫妻が下宿と仕事を申し出てくれたのだ。今の私は村の郵便配達をしながら駅のお手伝いをする異国で修行中の絵本作家という身分だった。

 この国の言語では、私の名前の遥、はるかの「は」の発音はどうも難しいらしく、「へるか」や「あるか」等と呼ばれている。日本人が「ヴ」の発音が上手く出来ないのと同じ。まあ、どう呼ばれようとも私は私なので別段気にはしていない。

  やがて、行く先に牧場の柵の上でぽつん、と肩を落としている人が見えてきた。あれは、ジェレイドさん。いつもは元気な方なのに、今日はどうしたのかしら?

 私はジェレイドさんの前でスクーターを停め、元気のない顔を下から覗き込んだ。いつもならば、快活な口調で軽口の一つや二つぽんぽんと飛んで来るというのに、今日は妙にぼんやりとしている。私は今朝一番に駅に荷物を取りに来たヤコブさんと駅長さんの会話を思い出した。ヤコブさんはジェレイドさんの幼馴染で大の仲良しさんだ。

 「旅行先でジェレイドは好みの飛びっきりの美人に声を掛けたら、年下の男は嫌。と、素気無くあしらわれてジェレイドはいつになくヘコんでいる」

 ……確かそんなことを、ヤコブさんはケラケラと笑いながら話をしていたっけ…… 私はぼんやりとしたまんまのジェレイドさんの手の中に何通かの手紙を押し込んで、その場を立ち去った。人生、悪いことばかりじゃないから頑張って。ジェレイドさん。


 やがて、私はとある家の門の前で遊んでいる子供達の姿を見つけて手を振った。私に気付いて手を振り返すは双子の男の子。私の可愛い年下のボーイフレンド達。

 「あるか」
「えるか」
「こんにちは。ショウ、アキ。いい子にしてた?  ジョディおばさんがあなた達にってニンジンを下さったわよ。良かったわね」
「うん」
「いい子ね…… さて、今日のお土産は折鶴っていう紙で出来た鳥よ」

 私はカバンから折鶴を取り出し、幼い兄弟の手のひらへと振り撒いた。たちまち、兄弟の目はまん丸に。ううん、いつもながら可愛いっ!

 「あるか、すごいね。魔法みたいだ」
「あはは、魔法かぁ…… じゃあ、二人にもこの魔法を教えてあげよっか?」
「うんっ!」

 私はカバンの中から出した折り紙を二人に手渡した。家の前のベンチに腰掛け、私は二人に折鶴の折り方を教え始めた。

 この子達は母親の病気療養で不在のため、父親は長期の仕事のために、ここのアンナおばあちゃんと暮らしている。おばあちゃんは明るくていい人だし、両親は二、三日おきに手紙やプレゼントを贈ってきている。決して蔑ろにされている訳ではないが、寂しいことに変わりはないのだろう。私が通る時間帯には、必ず門の前で二人揃って両親の手紙を出迎えるようにして待っていた。

 最初は手紙がない日のがっかりとした二人の様子が見ていられずに、私が描いたカードを渡していたが、今では私の方が二人に会うのを楽しみにしていたりする。 そんな私達の前にふと影が射し、見上げるとご近所の子供達が立っていた。

 「あるか、元気か?」
「ええ。あなた達は…… もう学校は終わったの?」
「うん! これから川に魚釣りに行くんだ」

 子供達はにかっと笑った。

 「大物を釣ってきてね。ところで、今日のラルクは元気ない……? どうかした?」
「ラルクはマリーがダグラス先生のことばかり話すって言って、さっき喧嘩したんだ」
「マリーと? あら、仲良しさんな二人が喧嘩なんていけないわね」
「俺…… あの先生嫌い。あるかは?」
「え…… 私? そうねぇ……」

 ダグラス先生は、この子達の学校の先生。三十前の、なかなかハンサムな先生。学があるからか、私の名前を「遥」ときちんと発音出来る唯一の人。柔らかい物腰、親切で、何よりもあの穏やかな甘い声と笑顔はとても素敵だ。ラルクには悪いけど、マリーのその気持ちは分かるなぁ…… うん。

 「生徒にそんなに風に嫌われちゃったら、僕もお終いだなぁ……」
「ダグ先生っ!」

 いつの間にかダグラス先生が、にこにこと笑って立っていた。

 「あ、ラルクっ!」

 ラルクはきっ、と先生をきつく睨み付けると、風のように駆けて行ってしまった。  その後を他の子供達もわらわらと追い掛けて消えて行った。

 「はは、なんか嫌われちゃってるみたいで……」
「ガールフレンドを取られちゃったと思って拗ねてるんですよ。可愛いですよね」
「はあ……」

  先生は私の言葉に、困ったようにぽりぽりと頭を掻き始めた。その仕草が妙に 子供っぽくて、私は思わず吹き出していた。

 「遥……?」
「ご、ごめんなさい。悪気は無いんですよ。ただ可愛らしい話しだな、と思いまして。先生は気にしなくてもいいですよ。先生に憧れるなんてことは、よくある話ですもの。ダグラス先生は素敵な方ですからね。マリーも見る目がありますよ」
「そうでしょうか?」
「ええ」
「ダディっ! お帰りなさいっ!」
「……え゛?」

 突然、ショウとアキが嬉しそうな声を上げてダグラス先生に勢い良く跳び付いた。先生も双子を抱き留めながら笑っている。

 ……え? 今、何て言った? 何て? この子達がいつも待っている父親って…… もしかして…… え……? ええーっ!

 私は目の前がぐるぐる回るような奇妙な眩暈を覚え、呆然と立ち尽くした。

 いいな、と思っていた人が子持ちだったとは…… なんか、すごくショックかも…… ああ、私も今からジェレイドさんの隣に座らせてもらおうかしら……

 「残念でした。よく見てごらん、僕はダディじゃないよ」
「あれぇ…… ダグ兄ちゃんだぁー」
「いつになったら君達は、間違えずに出迎えてくれるようになるんだろうね?」
「えへへ」

 ……は? あの…… 今、何て……?

 ダグラス先生は双子を脇に押し遣りながら、ぽかんとしている私に笑いかけた。

 「驚きました? 彼らは異母兄弟なんですよ。父が若い方と再婚しましてね…… こんなに年は離れていても、れっきとした兄弟なんですよ」
「……えっ? あっ! はいっ! あの、随分若いお父さんだなと…… じゃなくて、兄弟でほっとしたというか…… あ…… その…… そうじゃなくて…… えっと…… ご、ごめんなさいっ! し、失礼しましたっ!」

 私は恥ずかしさで赤くなった顔を隠すために慌てて俯いた。こんないかにもっ、て態度は余計に失礼だとは分かってはいるが、こればかりはどうにもならなかった。

 「そんな反応されると…… 僕は自惚れてもいいってことでしょうか、遥?」
「えっ……!」

 顔を上げると、ダグラス先生の端正な顔が目の前にあった。かっ、と全身の血が顔に上がってくる音を私は聞いたような気がした。ばくばくと騒がしい振動で身体が小さく震える。口の中がカラカラに干上がり、何かが喉に引っ掛かったように言葉が出てこない。ダグラス先生はひたすらにうろたえるばかりの私の様子を、嬉しそうな笑顔でにこにこと見詰めている。

 ちょっと! これって…… いきなり? 何? ちょ、ちょっと……

 「頑張ってスキップを繰り返してきた甲斐がありましたよ。普通に進んでいたら、 ここで遥に逢えなかったかもしれない。これって運命ですかね?」
「そんな、運命って大げさな…… って! ちょっと待ってっ! スキップって……? 先生、確かこの春に大学を卒業で……」
「ええ、まあ…… でも、そんなに驚くようなことでは……」
「もしかして、先生。私より年下な訳っ?」
「……? ええ、そうなりますね」
「……」

 しまった。

 私はこの国の人達は、故郷の人達よりも老けて見えるということを忘れていた。 そして、先生がこの春に大学を卒業した新任の先生だったということも忘れていた。私は見てくれだけで先生を年上だと思い込んでいたのだ。

 私は瞬きすら忘れてその場に立ち尽くした。

 不意に両肩に掛かった手に我に返ると、そこには真剣な、それでいて不安げな 先生の瞳があった。お願いだから、そんな顔して見ないで……

 「遥…… 年下の男はお嫌いですか?」


 私はへなへなと崩れるように、その場に腰を落としていた。



挿絵  /望月三円様



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