「SNOW LIGHT」
「じゃあね! 気を付けて」
「ほな。おやすみ〜!」 「メリークリスマス!」 「また来年、やろなぁ〜」 「電話、寄越せよ! 正月は家に居りや」 駅コンコースの高い天井から下がるシャンデリアに反射するように、賑やかな声が飛び交うと、行き交う人々が苦笑交じりで振り返っていた。 今夜はクリスマス・イブだから、ちょっと羽目を外していても許して。みんな、色々と忙しい身で滅多に会えない仲間達なの。こんな風に安心して馬鹿騒ぎ出来るのは彼ら達だけなの。傍迷惑な我侭、今夜だけでいいから笑って許して。 騒がしい一団が消えると、コンコースは低いざわめきを取り戻し、普段通りの顔に戻っていた。名残惜しげに手を振っていた私の肩には暖かい手が添えられていた。 もう私にとっては当たり前の温もりだった。 「みんな、ええ奴やな」 「当ったり前やん。みんな、私の友達やねんから! そう、類は友を呼ぶって言うし」 「はい、はい…… そういうことにしといたろ」 「何よ、その嫌な物言いは」 「いやあ、ただ、お前なんかと一緒くたにされるなんて可哀相やなぁ、って……」 「ひどっ!」 私は彼を一睨みすると、地下鉄への流れに潜り込もうと足を向けた。しかし、その流れに飛び込む寸前で私はぐいっ、と引き戻されていた。 「ちょい、待ち」 「何よぉ…… まだ何か言い足らへん訳?」 「心行くまでゆうてもええんやったら、一晩中言い続けても足らへんけど」 「なんや、それ」 彼は私が膨れて見せても、大して気にした様子もなしに笑っている。それは、私の扱いを世界中の誰よりも知っている笑いだった。 「もう、早よせな電車、来るって……」 「いや。今来たのに乗ってもな、接続がないねん。向こうで軽く二十分は待つことになるんやで。寒い中、それでもええんか?」 「ええ〜…… そんなに待つん? 運賃、日本で一番高いくせにサービス悪すぎ」 「ほんまやな。で、そういう訳やから、ぶらぶらと散歩がてら次まで歩こか」 「うん」 駅横にある石畳の丸い小さな広場には若い人達が思い思いにたむろしていた。見た目にも凄い革ジャンの男の子。そのうなじの細さと白さがアンバランスさ加減が実に間抜けで可愛らしい。この寒空の下、某有名店の大きなアイスクリームを手にして幸せそうな女の子達。ボリュームが大きすぎて騒音製造機と化しているバンドの皆さん。なんとなく、ただぼんやりと座っているだけの人。 そんな人達の横を通り抜け、山裾で白く輝く三角ビルを目指し、私達は大通りの 横断歩道を渡った。 不意に広い玄関を持つビルから、わらわらと人が溢れ出て来た。少し思い詰めたような、何となく張り詰めた表情をしていて、今夜の雰囲気にはそぐわないような人達ばかりだった。 「……? 何?」 「予備校生や。こいつらはこの年末年始が正念場やしな。顔も雰囲気も強張ろうってもんやな」 「ふうん…… なあ、あんたもあんなんやったん? いや、あんたやったら、絶対に ギリギリまでヘラヘラしとった口やな」 「アホっ! これでも、あの頃には必死こいてやっとってんからな! ま、そうは言うものの、たまたま上手いこと引っ掛かっただけという話もある」 「私には大学受験なんてよう分からへんし…… どうせ、お気楽極楽人生や」 「それ、ひがみ? ひがみか?」 「ちゃうっ! ひがんでなんかいいひんもんっ! ええよな、何だかんだ言いながらもマスターまで行けた人は」 「やっぱ、ひがんどんやんかー」 「うるさい! あんた見とったら、大学生ってみんなだらだら遊んどるだけちゃうかって思ってまうねん。このどうしようもない先入観、どないかしてくれへん?」 「それは、俺の所為とちゃう。お前の偏見や」 彼はそう言って、舌を出すようにして笑った。 「でも、クリスマスやお正月位、ゆっくりと息抜きすればええのに……」 「楽しとぅばっかりじゃあかん。そんなことでは、明日の勝利は絶対に掴めへんねん」 流れて行く予備校生達を見遣りながら、私達はその横を早足で通り過ぎた。 このメインプロムナードには様々なオブジェが並んでいる。観光都市だけあって、ちょっとした通りにはこうしたオブジェが配置してある。その趣味はというと、まあ個人の好き嫌いといったところか。 「……で? お前、何やっとんの? タコ踊りかいな?」 「このブロンズ像の真似…… な、色っぽい?」 「……」 「なんや、その沈黙っ! ちょっとは何とかゆぃいな」 「お前やったら、こっちよりもあっちの方が絶対に似合うって、ほら」 「……」 「どや? 気に入りすぎて声も出えへんってか? うん、俺の見立ても大したもんや」 「……あんなシュールで面白いもの、出来る訳ないやろっ! あほかーっ! 一遍、あんたがやって見せてみぃっ!」 「いんや。人間、何事も努力が肝心や。やってでけへんもんはない」 「だから! あんたがまずお手本やって見せてみぃ、ってゆっとんの!」 私達は次々とブロンズ像の真似をして回った。他人が見たらただの酔っ払いの 二人にしか見えないだろう。でも、ま。 私達はこれが楽しくて仕方がないのだから、クリスマスなのだからちょっと大目に見てもらおう。 「よっ…… ぉぉぉおおお いいいぃぃぃ…… どぉんっ!」 ダダダンッ、と少し古錆びかけた鉄板の悲鳴がやかましく夜空へと響き渡った。 やがて、鉄板の悲鳴が途切れると同時に視界が開けた。今まで見えなかった星々が頭上で瞬いている。足下には流れる光の河。 「よっしゃあぁ! 俺の勝ちーっ! 駅に着いたら熱いウーロン、お前の奢りな」 「この勝負、絶対に私の方が不利やんかっ! ヒールで陸橋の階段を駆け登るのってどんだけしんどいか…… それに、あの鉄板のでこぼこにヒールが引っ掛かったらどうしようか思ったら本気なんか出ぇへんって…… だから、この勝負なし」 「あかん、あかん。それはただの屁理屈や。ヒール、ったってそれ、なんぼもないやん。そんなの、ヒールなんて言わへん」 何をどう反撃してもすぐに逆手に取られてしまうので、私は仕方なく諦めの溜息をついた。それは白く輝きながら寒空へと淡く儚く消えて行った。 「ヘッドライトの流れってまるで川の流れみたいやね。半分が金色で、もう半分が赤とオレンジ。ほんまに綺麗やわ」 「あー、あ〜、川の流れのようにぃ〜 ゆるやかにぃ〜 時代は過ぎてぇ〜」 「何をいきなり歌っとんの。ね、あんたの今までの時代の流れってどないやった?」 「うーん…… お前がいつも笑いながらゆっとうやつと同じかなぁ」 「ドラマチックで目が回りそうってやつ?」 「そう、それや! もう、次から次へとええことも、悪いことも押し寄せて来るからな。ほんま、かなんわ」 「ははは」 私達はしばらくの間、足下を流れる光の河を見送っていた。親友を始めとした沢山の友達の顔、嬉しかったこと、悲しかったこと、様々な出来事が浮かんでは消えて行った。 同じように隣で何かを手繰り寄せるような瞳をしている横顔が、少し遠く感じた。 私の知らない何かを思い出しているだろうその横顔。 「何、心配そうな顔をして人の顔を見てんだか……」 「な…… 何や! 何も見てへんくせに! 勝手なこと、言わんといて!」 「見んでも分かるって。それ位のことやったら、充分に分かるって」 「な、何よ! 私、心配なんかしとらへんもん! 私が何を心配するって言うんよ」 光の河を見下ろす横顔に、私の脳裏に掠めた影。彼の青春を一緒に駆け抜けて行った長い髪の少女。 「あほんだら。また詰まらんこと考えてたんやろ?」 「つまらんって……」 「変なところで弱気になる。それ、お前の悪い癖や」 「何よ! 何よ! あんたなんかに言われとぅないわっ」 「痛っ! 痛いっちゅぅねん! やめろっ! やめれっ!」 「うるさい」 何だか切なくて、でもどうしていいのか分からなくて、私は彼の背中をぼかぼかと殴り続けた。彼は私の心の動きを知っているのか、苦笑しながらされるままだった。それはそれで、また悔しくて、私は彼の背中を殴り続けていた。 「……さて、もうそろそろ気が済んだ頃か?」 「何の気よ……? 何、ゆっとん? 私にはさっぱり分からへんわ」 「全く…… これだからお子様は困る」 「……」 「そんな情けない顔、すんな。心配せんでもええ、お前だけやから」 「だから、何のこと?」 「さあ、何のことだろうねぇ……」 すっとぼけたような返事を返しながら彼はふわん、と私をマフラーでくるみ始めた。このマフラーは私が去年に彼に贈った物。よく見ないと分からないが、実は中程で縄編みの目が一つとんでいたりする。 「やっ」 「おいっ! 一体何を……」 私は掛けられたマフラーと彼の腕を勢いよく撥ね退けた。そして、行き場を失くして宙に浮いたそれらを今度は素早引き寄せると、ふにっ、とした革の柔らかい感触と独特の匂いを私の首許に纏わり着けた。私は彼の腕を抱え込みながら頭上を振り仰ぎ、にんまりと笑って見せた。そこには呆れたように乾いた笑いを零す彼がいた。 「こっちの方がいいっしょ?」 「全く…… 行動に脈絡のないやっちゃ」 「全く…… 退屈せんでしょ?」 「退屈を通り越して、時々、むっとする」 「なんで?」 「そのめちゃめちゃ忙しい表情と行動を思い通りにする手がすぐに思い付かんで、自分に対してむっとする」 「な…… なんや、それ」 私が呆気に取られて言葉を失くすのを見計ったように、彼は笑いながら腕の力を込めてきた。私は手玉に取られたことが悔しくて、じたばたと腕の中で暴れ倒した。今の言葉、そっくり彼に返したい。 「背中。なんか、背中にごつごつ当たって痛い」 「あ? ああ、すっかり忘れとったわ。これ、お袋がお前にって」 「……何?」 「まあ、開けてみ」 「こんな所で開けてもええん? ちゃんとした所での方が、ええんとちゃうの?」 「ええやろ。そんな大した物とちゃうし」 「そうなん?」 彼は私の言葉にコートの胸元のポケットから薄いピンクの箱を取り出し、私の掌に乗せた。その箱の中には金色の鍵が一つ入っていた。 「これ…… 鍵?」 「ああ。それ、うちの鍵や…… もうお前はうちの子やから当然やろ、って」 「ええの?」 「ええに決まっとぅやん。じゃあ、何? お前、俺んちの子じゃない訳?」 彼はぐりぐりと悪戯っぽい目で笑いながら私の顔を覗き込んできた。 「ほんまの、ほんまにええの?」 「疑り深いやっちゃなぁ…… ええ、言うたらええのっ」 「でも、でもな…… だってな……」 「接続詞ばっかり並べてどないすんねん」 「だって…… もう、分かっとぅでしょっ!」 「でも、聞きたい」 彼はにっ、と人の悪い笑顔を浮かべた。私はそれに半ば怒鳴り付けるようにして叫んだ。 「アホっ! 嬉しいに決まっとぅやんかっ! これで嬉しくないゆう人がおったら、お目に掛りたいわ」 「そうか…… ほな、良かったわ」 「お義母さんにありがとう、ゆうとってな。ほんまに最高のプレゼントやわ。こんなん、実の親にだってもろたことないで」 「はは、大袈裟やなぁ。でも、ほんま、気に入ってくれて良かったわ。お袋も喜ぶ」 「すごい、すごい! まるでドラマみたいで目が回りそうやわ」 私はその金色の鍵を星空にかざした。 何気ない品と言葉の向こうにある優しい心遣いに胸が一杯だった。 「ね、ね。あんたからはないの?」 「アホかっ! 俺はお前のそれでおけらなの」 彼はぐいっ、と私の左腕を引き、その先にある物をぐりぐりと捏ね回した。それは、鮮やかな五月の新緑、幸せという言葉を纏う緑の雫。薬指の約束。 「これで?」 「何、寝言抜かしてんねん」 「えへへ…… 冗談、冗談。大事にするから」 「粗末に扱われたら、俺の立場ないって」 子供のようなしかめっ面をして見せる彼の頬を引き寄せ、私はそこにキスをした。 「お前、こんな所で…… 恥ずかしくないのか」 「……?」 見ると、狭い陸橋の上、笑いながら私達を避けて歩いて行く人達が何人もいた。 私は全身の血が一気に集まる音を聞いたような気がした。 「い…… いいもん。は、恥ずかしくなんかないもん」 「顔、赤い」 「うるさいっ! 黙っとき!」 べしべしと彼の胸を叩き上げると、その上にふわり、ふわりと星の欠片達が舞い 降りてきた。冬の星座の白く輝く星のかけら達は、次から次へと途切れることなく いつまでも舞い続けていた。 |