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 「SAVE ME!?」 (6/6)
 「……あっ! 夜分遅くにすみません。応用化学の山中さんのお宅でしょうか? あの、後藤と申しますが、拓さんはご在宅でしょうか?」
「……? 俺ですけど……?」
「綾原さん、ってご存じですよね?」
「あいつを知っているんですか?」
「今、『ティア』にいますので、後のことはよろしく」

 夜更けに掛かってきた電話はそう言うと、一方的に切れた。


 あいつ、綾原由衣は、先週半ばに集めたレポートを持ったままで姿を消していた。大学には勿論いない。寮にも、友達の所にも、実家にもいない。周りの連中は旅行にでも行っただけだろうと気楽に笑っている。俺もみんなと同じように笑っていればいいのだが、どうしても笑うことが出来ずにいた。


 俺は仕方ないな、と思いつつも部屋を後にした。

 「ティア」は大学の近くの洒落た造りの店だ。渋めの茶系で統一された店内には、時間が時間だけに客は少なかった。テーブル席にはカップルが一組、野郎連れと飲んだくれのおっさんが一人。そして、カウンターには実に場違いなお子さんが一人。

 「おい、綾原。こんな所で何、やってんだ?」
「……はい?」
「綾原」
「……あら、山中ちゃん?」
「何やってんだ?」
「……どうしたの?」
「聞いているのはこっちの方だ」
「……?」

 腕を掴かんだ俺のことを不思議そうに見返すその焦点は、微妙に揺れていた。

 「お前、酔ってんのか?」
「……まだ飲めるよ?」
「馬鹿。焦点もずれてるし、反応もずれてるじゃないか」
「……もう子供じゃらいもん」
「お前、こんなになるまで一人で飲んでいたのか?」
「……一人? ううん。一人、じゃないよ。一人じゃあ、ない」
「誰と?」

 俺が尋ねると、綾原はふいっと視線を泳がせた。カウンターにはグラスが二つ。 ひとつは綾原が握り締めている。もうひとつのグラスには少し残った茶色の液体と溶けかかった氷がひとつ。自らの存在を精一杯に主張して揺れる光が、妙に俺の神経を逆撫でしていた。

 「綾原」
「……ん?」
「ん? じゃない。立て」
「……どうして?」
「帰るぞ。寮はこの近くだったよな」
「……なんで?」
「なんでって……」

 綾原の言葉に上手く返す言葉が見つけられずに、俺は途方に暮れた。別に俺は綾原の何でもない。ただの同期生。綾原もいくら子供子供しているとはいえ、一応は立派な大人だ。自分で責任が持てるのならば、何をしようが、それは個人の自由だ。俺も何もここまで来る必要なんてどこにもないということに今更ながら気付いた。

 「……なんで? 山中ちゃんはどうしてここにいるの? なんで?」

 綾原は急に黙ってしまった俺のことを覗き込むようにして、もう一度尋ねてきた。

 「なんでって…… その……」
「……?」
「……そうだ! お前、レポートはどうしたんだ? 明後日提出のみんなのレポート預かったまんまだろ? どうしたんだよ? 学校にも来ないし、連絡はつかないしで心配したんだぞ」
「大丈夫。無くしたりなんかしてないわよ」

 綾原はぽつん、とそう言った。

 「そうか…… なら、いいんだ」
「心配したのは…… レポート?」
「えっ?」
「心配したのはレポートか、って聞いたのよ」

 綾原はじっと俺のことを見上げていた。その瞳には先程のような揺らぎは全くなく、強い光が宿っていた。

 「いや…… なんだ、その…… 普通、心配するだろ? 出すもの出さないと単位取れないんだし……」
「心配しなくても、ちゃんとあるわよ。研究室のパソコンに入ってる。心配なら今からでも引き出しに行けば? パスワードは"SAVE ME" 心配させて、ごめんなさいね」

 綾原はそう言うと、ぷいっとそっぽを向いた。

 「何だよ…… 何だ、その言い草! 何が"SAVE ME"だ。それを言いたいのは、こっちの方なんだぞ! 俺がこの一週間、どれだけ心配したか分かってんのかよ? 人の気も知らないでっ!」
「だから、ごめんなさいって言ったでしょ? レポートも無くしたりなんかしてないし、提出日に間に合わなかった訳でもないわ。それに、パスワードは教授も知ってるし」
「そんなこと言ってんじゃないっ! おいっ、こっちを向けよ」
「嫌」

 綾原は頬杖を付いて明後日の方向へとそっぽを向いた。そんな素気無い態度に俺は無性に腹が立ち、その勢いのままに頬杖を付く右手首引っ張り挙げた。

 「おいっ! 聞こえてんだろっ!」
「痛っ…… 痛いでしょ! 離して!」
「うるさいっ!」

 掴まれた手首を振り解こうとして、綾原は右腕を振り回した。しかし、座った姿勢で男の力を振り払うことは、このお嬢さんには到底無理な話だった。

 「離して!」
「嫌だ。 お前、何、考えてんだ? 俺がどれだけ心配したか分かってんのか?」
「……」
「何とか言えよっ! 言えっつってんだろっ!」
「……」
「おい、綾原。何とか言ってみろ、由衣!」
「な、馴れ馴れしく呼び捨てになんかしないで」

 綾原はじとり、と目だけを動かし、頬を膨らませた。

 「お前みたいなお嬢ちゃんは呼び捨てて充分だ」
「な…… 何よ、偉そうに」
「聞け。俺が心配したのはなぁ……」
「レポート、でしょう?」
「一々茶化すなっ! 俺が心配してたのは、レポートを持って行った奴のことだよ。俺はレポートを無くして、それが言い出せずに泣いているんじゃないかと……」
「私、そんな馬鹿じゃない」
「いいやっ! お前はいつ見ても、何をやっても、どこにいても危なっかしくて…… 見ていられないんだよっ!」

 俺はもう自分で自分が何を言っているのか分からなくなってきていた。しかし、今、この時に言っておかないとどうしようもないような気がして、今にも泣き出しそうな顔で見上げている綾原に向かって出てくるものを辺り構わずに投げ付けていた。

 「いいか、こんなしょーもない、子供じみた真似は二度とするんじゃないぞっ!  お前の面倒位、俺が見てやるから」
「……め、面倒って…… 私、そんな自分のこと位、自分でちゃんと出来るわよ。  馬鹿にしないで」
「お前が何かしでかす度に、陰でハラハラとヤキモキさせられている身になってみろっ。今回のことだって俺一人だけ…… 何で俺がこんな不安な思いしなきゃなんないんだ? だったら、いっそのことだな……」
「……どういうことよ? 殴るって言うの?」
「えっ? いや、その、何だ…… そういう意味じゃなくて…… ええい! もういいっ! とにかくだな、俺は決めたんだっ! いいな、分かったなっ! 由衣、返事わ!」

 俺がそう一息に言い切ると、由衣は堰を切ったように泣き伏していた。


 「……まったく。泣くなよ……」
「……い、いいでしょ…… うるさい」

 綾原の隣に腰掛け、その頭をぐりぐりと撫で回しながら泣き止むのを俺は待っていた。

 俺達が言い争いを始めた時点で、野郎連れとおっさんは店から退散していた。 店のマスターは何事もなかったかのように、平然とグラスを磨いて並べ上げている。ふと振り向けば、残っていたカップルの女の方が笑ってグラスを掲げ挙げた。

 「後藤さん、でしたね?」
「あら…… バレてた?」

 緩いソバージュを掻き揚げながら、彼女は悪戯を見つけられた子供のように笑った。

 「この子、不器用だけど、これでも一生懸命だったのよ。誉めてあげてよね」
「分かってます」
「ふふ。私も悪巧みを張り巡らした甲斐あって、面白いものを見せてもらったわぁ」
「……そうですか? 楽しんでいただけて何よりです」
「ええ。これからもよろしくね、拓ちゃん?」
「こちらこそ、よろしく」


 彼女にハメられたのか、俺がそれを利用したのかは分からないがそれは今となってはどうでもいいことだ。俺は由衣に手が届いたのだから。この小さいお嬢さんを、我が腕に擁することが適ったのだから。泣き腫らした由衣の頬を、うにうにと引っ張り挙げながら、俺はそんなことを考えていた。



            〜 「眼鏡越しの空」「戦いの火蓋」「恋心」「カラカラ」「決戦は金曜日」「SAVE ME」 〜 完




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