Home  SSTOP .
 「JUMP UP!」
 「おい、セシリア。待てよっ!」

「放っておいて! こんなまやかしのどこが面白いの? みんな嘘っぱちじゃない」

 私は二の腕を掴む手を振り払い、背後を睨み付けた。そこには鳶色の瞳を困ったように曇らせた同僚、アレクがいた。

 「だから…… さっきから何度も言っているだろう? これはお祭りなんだって…… お祭りは非日常を楽しむものなんだって」
「そうっ! 非日常、非現実的だわ。あんなメイクや扮装をしたところで、そのものになり切れる訳でもないのに、当の本人達はそのつもりだなんて、馬鹿じゃないの? 子どもならまだしくも、いい大人達までが……」
「だ、か、ら……」
「いいのよ。あなたも私のことなんて気にせずに、存分に馬鹿騒ぎを楽しんで来て。私は…… 一人の方がいいの。じゃあね、私は帰るわ」
「あ…… 待って」

 まだ何か言い足りなさそうなアレクの指先と視線を、私は完全に無視した。

 人類史上に於いて最も文明の頂点を極めたと謳われるこの時代。大昔は眺めるだけだったという月は、今や学校の遠足の行き先程度にしかならない。人類は太陽系や銀河を離れ、外宇宙にまでその生活の場を広げている。

 そんな中でも最高の技術を集めたこのシティ。ここに住まうことを許されるのは、 ほんのわずかな選ばれた者達。時代と技術の最先端を行く者達だけ。

 何故、みんなそんな風に楽しそうに笑っていられるの? 誇り高きシティの住民が大昔の世迷い事に踊らされるだなんて……

 私は擦れ違う人々を横目で見ながら、周りに悟られないように溜息をついた。

 ……まったく、あの格好は何? ビラビラと無駄が多くて、飾り立てられるだけ飾り立ててみたような原色だらけの下品な服。真っ白に塗りたくった顔に赤い玉をくっ付けたり、大袈裟な涙なんか描いた変なメイク。人間には必要のない尻尾や羽を、牙に角までくっ付けて愚かとしか言えないような格好。もっさりとした白髭に、白で縁取った赤い服を着た老人。スキンヘッドのてっぺんにアンテナを突き立て、スカートをはいて白地に赤丸の扇をひらひらと舞わせている人。裸同然の格好で、槍とかいう古代の武器を危なっかしく振りかざしている輩達。

 何がそんなに面白いのか、ほんの些細なことで笑い転げては飲み食いを繰り返し、大声で歌い騒いでいる。私はこんな馬鹿な連中達と同属なのかと思うと、悔しくて涙が出そうだった。

 そんな忌々しい連中を避けながらセクションの角を曲がった時、私の足元に白い影が転がり込んで来た。

 「っ!」
「ごめんなさいっ!」

 それは、すっぽりと白いシーツで身体を包み、頭にはオレンジ色のカボチャが乗っかっていた。カボチャはもさもさ、わさわさとした動きで立ち上がり、少し甘えたようなトーンの声で訊ねてきた。

 「あのぉ…… お怪我、ありませんでしたか?」
「え……? ええ、大丈夫よ」
「……」

 カボチャはじっと私の方を見上げたまま、その動きを止めていた。

 「なあに? どうかしたの? 私に何か付いてる?」
「お姉さん、哀しい人なんだね」
「な、何よ? いきなり……」
「僕、分かるんだよ」

 カボチャ頭の下からさらさらの蜂蜜色の髪が現れ、そして、ハニーブルーの瞳がじっと私を見上げていた。カボチャは十歳位の男の子だった。

 「私、全然悲しくなんかないわよ? つい先日、私の研究が学会で認められて、第三級名誉市民の資格を手に入れたばっかりなんだから」
「ううん…… 悲しいじゃなくて、哀しい、だよ」

 カボチャ坊やは、その蜂蜜色の髪を揺らしながら頭を振った。
私はこの坊やの言葉の意味するところがてんで分からなかった。

 「おーい、トビー!」
「あ、ダグ!」
「おいっ! トロトロしてんじゃねぇよっ! こんな人込みの中ではぐれたらどうするんだ? お前一人でセンターへ戻れるのかよ?」

 人込みの中からTシャツにジーンズという軽装の少年が飛び出して来た。十二、三歳位の栗色の癖っ毛の少年だった。少年は私のことを完全に無視してカボチャ坊やを叱り始めた。そして、一通りのお小言が終わると初めて私に気付いたように、その茶色の目を何度もぱちぱちと瞬かせた。

 「お前、こんな年増が好み? 変わってんのな」

 何の前触れもなく耳許で声が上がり、その突然さに私は文字通り跳び上がった。

 「なっ…… 何なのよ! 何なのよ、あなた達っ!」
「まぁた、トビーのお節介が始まったのか? お前の能力も大したものだな。女の子みたいな顔をしてんのにな」
「だって、クライド」

 私の横に突然現れたのは、その金褐色の髪と同じ色合いのフレームの眼鏡をかけた少年だった。アストロノーツの着るようなメタリック調のつなぎがいやに眩しい。年の頃は、最初のジーンズ少年の頃と同じ位の十二、三位。

 「まあ、まあ、トビーはこういう性質なんだから仕方ないよ。そんな風に言うものではないよ」
「ちぇっ! あんたはいつもトビーに甘いよなぁ……」
「クライド、マーティンに怒られた〜」
「あのね、トビー。君はクライドやダグに心配を掛けたことを忘れちゃいけない。二人共、必死で君のことを探していたのだからね」
「……」
「お祭りで嬉しいというのはよく分かるんだけど、みんなの迷惑になっちゃ駄目だよ。君はあまり外のことを知らないのだからね」
「……うん。ごめんなさい」

 次に現れたのは、タキシードにモノクルという出で立ちの十四、五歳位の落ち着いた感じの少年だった。タキシードの少年はカボチャ坊やの肩に手を掛け、その顔を覗き込むようにしながら諭すように話しかけた。カボチャ坊やはしゅんとうなだれ、謝罪の言葉を口にした。

 「ちょっと! あなた達、一体何者? いきなり……」

 私は状況の展開に付いて行けずに声を上げた。それは、自分でも驚くほどにヒステリックな響きを含んだものだった。そんな私の叫びにタキシードの少年はほんの一瞬だけ驚愕の表情を浮かべた後、とろけるような甘い笑顔と優雅な身のこなしで頭を下げた。

 「これは大変失礼を致しました、レディ。僕の名前はマーティン。マーティン・ハーディングと申します。貴女を呼び止めたのがトビー。こっちがダグラス。眼鏡をかけているのがクライドです。どうかお見知りおき下さい」
「いえ…… 私こそ…… 私、私はセシリア・アンダーソン。カニナレ大学の研究室で、理論化学の研究をしています」
「お姉さん、そんなに綺麗なのに学者さんなんだ」

 トビーがその蜂蜜色の髪をダンスさせながら手を打ち合わせ、はしゃぎ出した。そんなトビーの様子を、私はどこか他人事のように聞き流していた。

 「……? 綺麗? 私が……?」
「……? ええ、綺麗ですよ。レディ。それが……?」
「そうだな。そのギスギスしたトゲのある雰囲気がどうにかなれば、文句なしの美人だな。なあ、お前もそう思うだろ? ダグ?」
「うん。そして、状況に合わせておしゃれして街中を歩けば、男なんて選り取りみどりじゃないかな? そのいかにも研究者、っていうようなその白衣は野暮ったくて駄目だな。一度、出直して来た方がいい」
「こらっ! ダグ、クライドっ! レディに向かって何て失礼なことを言うんだっ!」

 ダグとクライドの言葉をマーティンが厳しく咎め立てたが、二人は気にした様子もなく顔を見合わせながら白い歯を見せてきしし、と笑っていた。

 「……綺麗? 私が?」
「綺麗だよ。さっきからそう言ってんじゃねぇか…… するってぇと、何? あんたの頭は飾りか? これ位のこと理解出来ないなんてさ」
「あははっ! 頭の中身は全部データーチップの中に放り込んでしまったから、今はそこいらの赤ん坊よりも空っぽということ? 笑っちゃうね」
「おおっ! クライド、お前にしちゃあ、いい表現だ」
「だろー」
「まあぁぁ、なんですってっ!」
「レディ! レディ! この二人の言動は気にしないで下さいっ!」

 あまりにもな二人の会話に私が肩を怒らすと、両手を胸元に挙げたマーティンが割り入って来た。私がぎりっと眉をしかめると、マーティンは穏やかな笑みをふっと浮かべた後、ふわんと身体を回転させた。再び私に向けられた微笑みの向こうには、ダグとクライドが頭を抱えて座り込んでいた。

 「これで許してやってくれませんか、レディ?」
「えっ? ……ええ。それに、私も大人気なかったわ」
「いいんですよ。レディはもっと…… そう、自分の感情を素直に出した方がいい」
「……え?」

 普通の子供の笑顔とはどこか違うマーティンの笑顔と、その言葉の端々に漂う何か老齢な響きに私は戸惑うばかりだった。子供と話しているというより、大学の老教授と話しているような感じだった。そんな私の戸惑いを知ってか知らずか、マーティンは気取ったような優雅な動きで頭を下げた。

 「レディ。もしよろしければ、僕達と一緒に行きませんか?」
「どこに?」
「今宵の祭りにですよ」
「でも、私……」
「わあ! お姉さんも一緒に行くの? 行こうよ、行こうよ! ね? ね?」

 私が言い淀む隙すら与えず、トビーがブルーの瞳を輝かせて擦り寄ってきた。私はそのつぶらな瞳に抗うことは出来そうになかった。

 「……分かったわ。じゃあ、少しだけね」
「わあい!」
「よっし! そうと決まれば、善は急げだ。美味しいご馳走がなくなっちまうぜ」
「善は善でも、ダグの場合はお膳の膳だな」
「わーい、ダグのくいしんぼー」
「うるせー! お前みたいな甘々ちゃんよりかはマシだよーだ」
「僕、甘ちゃんじゃないよ!」
「じゃあ、赤ちゃんだ。トビーベイビーだ」
「もー! クライドまでそんな意地悪、言うー」
「二人ともいい加減にしないかっ」


 四人は代わる代わる私の手を引きながら浮かれ騒ぎ、街中へと繰り出して行った。

 様々なイルミネーション。
舞い散る紙吹雪。
賑やかな音楽。
色鮮やかな衣装。
人々の笑い声……

 あれはあまりにもけばけばしい色を放っていたんじゃなかったかしら? あれはただの紙くずの筈じゃなかったのかしら? 神経に障るだけだった筈の騒々しい筈の音楽。愚かで非現実的な筈だったファッション。蔑んでいた筈の人々……

 何故かしら? 
何もかも、目に映るもの一つ一つが新しい、珍しい。
何をしても、されても楽しい、嬉しい。
すれ違う人々と人々と交わす笑顔、言葉が温かい、懐かしい。



 「おい、笑うと意外と可愛いじゃねぇか。どうだ? 俺と付き合わないか?」 
「え……? ダグ……?」
「俺ほどの男は、そうそうはいないぜ」

 突然のダグの告白に、私は一瞬何が起きたのか理解出来なかった。驚きの後にやってきたのは、爆発的な笑いだった。自信満々で腰に手を当て、一人前に格好をつけていたダグに対し、私はその栗色の髪をせっつきながら笑い続けた。

 「そうね、もう十年経ったら考えてあげなくもないわね」
「けっ! 子供扱いしやがって…… 十年後だったら、あんた、ただのババァじゃねぇか」
「じゃあ、僕がお姉さんと付き合ってあげるー」
「トビーが年増好みだって知らなかったなぁ」
「ふーんだ。! ダグなんて速攻で振られちゃったくせにっ!」
「なんだと? そんなこと言う奴は、こうしてやるー!」
「わーん、やめてよー! やめてよ、ダグ」

 ダグはトビーの背中で揺れていたカボチャ頭を取り上げると頭上高く掲げ上げた。背の低いトビーは何度もジャンプを繰り返して取り戻そうとするが、それは何度やっても成功しなかった。終いにはクライドも加わって、大騒ぎへと発展していった。

 ふざけ合う三人を見遣りながら、私は傍らに立つマーティンに話し掛けた。

 「ありがとう。私、今まで本当に嫌な女だったわ。あなた達に会えなかったら、私はこのまま嫌な女で一生を終わっていたかもしれない」
「いえ、レディ。貴女の周りの者達が、貴女の本当の魅力に気付いていなかっただけですよ。僕達はほんの些細なきっかけにしか過ぎませんよ」
「……」
「あの最新鋭超コンピューターに囲まれたままでは、心も荒もうってものですから……」
「あなた達、一体何者なの? 何故、私の所属するエリアを知っているの? あのエリアは一般人は立ち入りを禁じられている筈……」
「僕達、エイリアンですから。エイリアンは何でも知っているし、どこにでも現れることが可能なんですよ」

 マーティンは曖昧で意味深な笑みを浮かべ、人差し指を悪戯っぽく唇に宛がって私の次なる言葉を封じた。

 「ふふ…… エイリアン、ね。まさにその通りね…… ねえ、また会えるかしら?」
「貴女が望めばいつでも」
「じゃあ、次に会う時は私、もう少しマシな女になっていられるように努力してみるわ。そして、その時は…… とびっきりの笑顔で会いましょう」
「ええ。楽しみにしてますよ、レディ」

 マーティンはモノクルの奥の黒い瞳をふわっと細めた。そして、私の頬に腕を伸ばしてきたかと思うと、羽のようなふんわりとした軽いキスを寄越して来た。突然のことに固まった私に、マーティンはもう一度にっこりと笑い掛けると、騒ぐ三人の方へと駆け出した。四人はひとしきりじゃれ合った後、やがて、ちぎれんばかりに手を振りながら街角へと消えて行った。

 私は一人、その場に佇んでいた。

 身体中がほんわりとした温かさに満ち溢れていて、今までに経験したことのないような幸せな気分だった。私はいつまでもその場から立ち去ることが出来なかった。


 「セシリア!」
「アレク…… どうしてここに?」
「どうして、てっ…… その、君のことが心配で……」

 不意に肩に掛かった手と声に振り返ると、そこには息を切らせたアレクがいた。額に汗を浮かべ、瞳と同じ鳶色の前髪を少し乱して私の問いにうろたえる姿は、いつでも沈着冷静な彼からは到底想像出来ない姿だった。私は苦笑気味に笑いながら、そんな彼の乱れた前髪を指先で整えた。

 「ふふ…… ごめんなさい。その様子だと随分と走り回らせてしまったみたいね?」
「あ…… いや、その…… そういう訳じゃあ……」
「ごめんなさい。こんな私のために無理してくれなくても良かったのに」
「ちがっ…… 違うんだっ! あの…… その……君、君だから…… だから」
「え……?」

 思い掛けない力で手首を取られ、真剣な強い光を湛える瞳に真正面から私は捕らわれていた。咄嗟に身を縮こまらせるようにしてその腕を振り払おうとした瞬間、脳裏に先ほどの四人の笑顔が流れた。

 アレクを怖い、と感じたが、何故かそれは不快なものではなかった。突然のことに驚いただけ。

 私は止まったような時間の流れの中でアレクの今にも泣き出しそうな顔を、言葉もなくただ見詰め返すばかりだった。

 また四人の笑い声が、言葉が私の中を駆け抜けて行った。
そうだ、私は素直になってもいいのだ。差し伸べられた手は、誰よりも優しいことを私は知っている。頑なに自分の殻に閉じこもっていては、何も見えはしない。何もこの手に掴めはしない。

 私は軽く俯いた後、思い切って顔を上げた。私はいつの間にか微笑んでいた。

 「今からでもまだ遅くはないんでしょう?」

 見上げた彼の瞳にはしばらくの間、驚愕と困惑の色がくるくると踊っていたが、やがて、いつもの穏やかな色合いを取り戻していた。そして、手首を掴んだまま硬直しているアレクの指を私はゆっくりと解き降ろし、その腕に自分の腕を絡めた。覗き込むようにして見上げると、優しい笑顔が降ってきた。私はその笑顔を受け止め、微笑み返した。


 二人で腕を組み歩きながら、私はまたどこかで彼らに会えることを願わずにはいられなかった。






Copyright(C) 白石妙奈 all right reserved since 2002.7.10
QLOOKアクセス解析
inserted by FC2 system