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 「コスモポリタン」
荒涼とした大地。
カラカラに乾いた風。
息も絶え絶えの細い河。
照り付ける二つの太陽。


 これでもほんの少しだけだが、世界は蘇ってきた方なのだ。太陽に焼き尽くされた大地は殺伐と広がり、風はひとたび吹き荒れるだけで人々を容赦なく切り刻み、 河は河としての役目を忘れ去って久しかった。

 人々は絶望の淵で祈った。それこそ、全身全霊を賭けて祈り続けた。
豊潤な大地が蘇ることを。魔王を倒して自分達を救ってくれる存在の出現を……

 やがて、人々の切実な願いと地の凄惨たる有様に心を痛めた天が道を開いた。 それは、異世界への禁断の道。一か八かの危険な賭け。

 出現した男達は、突然のことに戸惑いつつも旅立った。人々のあまりにも痛切な哀願の眼差しに耐え切れなかったから。魔王を倒す以外に自分達が元の世界へと戻る術が見出せなかったから。

 旅は想像を絶する辛い旅。

 自分達の常識という名の知識が全く通じない異世界の旅。常に死と背中合わせの日々。焦りと不安とに駆り立てられるように進む狂気の行進。

 いつしか人数は一人減り、二人減り、最後に魔王を倒した時に残っていたのは、たった二人だけだった。しかし、それもすぐに一人になっていた……


 「隆、どうした?」
「いや…… なんでもない」
「顔色がよくない」
「……」
「楠本達のことを考えていたのだろう」
「シア…… 人の思考を読むんじゃない」
「私は読んでいない。隆の顔を見れば、それ位のことは分かる」

 アイスブルーの瞳で、シアが俺のことを睨み付けている。それは、その白銀の髪と同じ位、真っ直ぐなものだった。

 俺達の乗ったイグアナのような爬虫類型の奇妙な生き物の動きに合わせ、シアの長い髪がさらさらと揺れている。その白銀の下の赤い宝玉は、巫女姫の徴し。額に埋め込まれたそれは生涯外すことの出来ない赤い烙印……

 俺は黙って視線を逸らした。


 殺伐としたそんな風景の中、小さな集落が見えてきた。

 シアが指を振って合図すると、伴走していた数名の男達の中から一人、集落へと猛然と駆け出して行った。

 彼らは指折りの神官戦士達で、巫女姫の護衛だ。引き締まった屈強な身体には、その武勲を示すかのように幾つもの傷跡が残っている。全体的に無愛想だったが、戦士独特の鋭さと神を敬う敬虔な眼差しのアンバランスさが俺は好きだった。

 集落に入ると、たちまち村人が集まって来た。神と巫女姫に対する崇拝の言葉と共に、その足許へと身を投げ出すようにして額付いていく。いつものシアなら、神の代行者として慈悲の笑みを浮かながらそんな人々に祝福の言葉を与えるのだが、今日に限っては集まって来た者達を冷たくあしらっていた。人々はいつにない巫女姫の様子に、不思議そうな顔をしながらも黙って散って行った。

 「シア」
「人が多いと騒ぎになる。隆を帰せなくなってしまう。今は休息を取らねばならない」
「でも……」
「彼らだって馬鹿じゃない。纏わり付いていい時と、悪い時の区別位は分かる筈だ」

 シアはそう言ってわずかな休憩をとった後、再びイグアナに跨った。
集落の者達は、突然の嵐をただ呆然と見送っるばかりだった。


 俺は陸上自衛隊員だった。

 ある遭難事故の救援にヘリで移動中、突然の白光に引き込まれてこの世界へと連れて来られた。総勢20名。あっという間の出来事だった。

 次に気が付いた時には、ヘリは神殿の広場の真ん中に降り立っていた。そして、その周りを埋め尽くさんばかりに地にひれ伏す人の波に、俺達は言葉を失った。

 人、人、人、人……
その一途な、恐ろしいまでの眼差し……

 俺達は闘った。お国の為ではなく、自分達が生き残る為に。家族や友人、恋人が待つ世界に帰る為に。

 映画の特撮のような怪物との死闘、科学では説明のしようのない不思議な魔法。俺達は発狂寸前の態でがむしゃらに、見えない恐怖に追い立てられながら進んだ。やがて、冷たい石床に魔王が沈んだその時、立っていたのは俺一人だけだった。床には仲間達が物言わぬ骸となって累々と転がり、共に止めを刺した筈の楠本の身体からは急速に温もりが失われつつあった。俺は魂を引き裂かんばかりに泣き叫んだが、応える者は誰一人としていなかった……


 「隆。あそこだ。あそこが神々の御座だ」

 シアの指差す先には見覚えのある岩山があった。神々の御座はその威容を見せ付けるが如く、赤い夕陽の中に傲然とそそりたっていた。あそこから全てが始まったのだ。そして、今、全てが終わろうとしている……

 神官戦士達は神々の御座の神殿へと辿り着くと、手早く野営の準備を始めた。 俺も手伝おうとするが、やんわりと断られた。時折目が合うと、返ってくる視線には必ずと言っていい程に畏怖が混じっていた。それが彼らを無口にさせているのかと思うと、俺はどうもやりきれなかった。

 俺は神でも何でもない、ただの人間だ。俺一人が魔王を倒した訳ではないのだ。みんなで倒して、偶然、俺だけが生き残ってしまっただけだ。あの時、楠本が咄嗟に俺のことを庇わなければ、今、ここにいるのは俺ではなく奴の方だっただろう。俺はあの時、足がすくんで動けなかった臆病者だ。なのに、今、俺は勇者として畏怖の対象にされている。

 そして、俺一人だけが帰ろうとしているのだ。仲間達を置き去りにして……


 「隆」
「シア……」
「どうした。こんな所でぼんやりして」
「いや…… 別に……」
「見ろ、隆。これがお前達の救った世界だ」

 シアが示す先には、二つの三日月の光に浮かぶ不毛の大地が広がっていた。 俺が初めて見たこの世界と同じ風景だ。しかし、所々に植物と思しき物が見える。以前には、そんなものはどこにもなかった。

 「少しずつだが、この世界は蘇りつつある。雨も降るようになってきたし、草も生え始めてきた。みんなお前達のお陰だ。ディガスの民を代表して心から礼を言う」

 シアはそう言うと膝を折り、両手を胸の前で交差させて頭を下げた。これはここでは最敬礼に当たる。神の代行者たる者が、神以外に膝を折ることはない。

 「シア、俺の前ではそんなしゃちほこばったことはしなくていい。顔を上げてくれ」

 シアが顔を上げると、白銀の髪がさらさらと流れ、額の赤い宝玉が月光を静かに煌めかせた。まだ少女の面影を強く残しているのに、シアは神の代行者として何時如何なる時でも威厳を保たなければならない。感情を前に出してはならないことに始まり、迷ってはいけない、間違ってもいけない等々、常識では考えられないような様々な制約がこの少女には課せられている。しかし、そんなものを露とも感じさせずに毅然と顔を上げ、絶望に瀕した民を励ましながら導いてきた神の代行者だった。

 しかし、俺は知っている。

 神の代行者であると同時に、この少女は普通の少女であると言うことを。いつも、いつも不安に苛まれ、怯えていることを。この世界の者でない俺の前では、シアは本当の姿を垣間見せていた。俺はそんなシアをいつしか愛していた。心配性の泣き虫の女の子を。

 「俺が残るのは、そんなにいけないことなのか? ただ静かに仲間を弔って生きるのはいけないことなのか?」
「隆はこの世界での役目を終えたから…… 帰らなくてはいけないんだ」
「それって勝手過ぎだろ? 勝手に引きずり込んで、戦いに駆り立てて、殺して…… 挙句の果てには、とっとと帰れだと?」
「勝手に呼び込んで、無残にも死なせてしまったことはいくらでも詫びる。しかしだ、隆が次の災いにならないとは限らないんだ」
「っ! どういうことだ?」

 シアは俺の噛みつかんばかりの勢いにすっ、と視線を外した。

 「……あの魔王は、遥か昔にこの世界に呼び込まれた異世界の者だ。異世界の者が居たが故に、世界には歪みが生じた。そして、その歪みから奴は強力な魔力を得て魔王となったのだ」
「……そんな」
「今、魔王は倒され、この世界は正常に戻りつつある。だが……」
「まだ…… この世界の者ではない俺が…… 残っている……」
「そうだ。隆が次の魔王となる可能性があるんだ。だから、帰す」

 シアは視線を俺へと戻し、憎たらしい程にきっぱりと一捌けの迷いもなく答えた。 俺はそのほっそりとした肩に手を掛け、思い切ってそこに声を叩き込んだ。

 「俺と一緒に行かないか? 向こうに行けば、神々の激務から逃れられる筈だ。 そして、何より、普通の女の子として生活出来ると思うんだ」
「隆、それ、本気か?」
「ああ」

 シアの硬質な瞳の色にかすかな揺らぎが生じた。しかし、それはほんの一瞬の ことだった。

 「駄目だ。私がお前の世界へ行くと、お前の世界に歪みが生じる」
「元々が歪みだらけの世界だ。一つ、二つ増えたところでどうってことないさ」
「そんなことをしたら、私達は世界と時空の狭間で永遠の彷徨い人になってしまう」
「君と一緒なら、俺は永遠に世界を彷徨しても構わない。それもいいじゃないか」

 シアはゆっくりと小首を傾げ、ひっそりと微笑んだ。シアは人目があるかもしれないような場所では、自分の感情を出すことは絶対にない。しかし、今のこの微笑みは作られたものではなく、シア本人のものだった。

 「私を巫女姫や神の代行者としてではなく、普通の一人の少女として扱ってくれたのはお前だけだった。私はいつも孤独だった。誰一人として、私を私として見る者はここにはいない。私はお前の優しさが嬉しかった。だから…… 愛した」

 シアはふわ、と額の白銀の前髪を掻き揚げた。

 「私は行けない。私はこの額の宝玉がある限り、神の代行者だ。私はこの世界を支える唯一の巫女姫。私が居なくなれば世界の秩序は乱れ、あっという間に滅んでしまうだろう。私にはそんなこと、絶対に出来ない」
「それでいいのか、シア? そんな烙印、捨てて俺と行こう。まともな人格すら認められないような一生を強いられて、何が巫女姫様だっ! 恭しく扱ってはいるけれど、そんなの神々の奴隷と同じじゃないかっ!」
「それが、私の存在意義だ」

 シアは氷のような鋭い光を閃かせて俺を睨み付けた。そして、これ以上の問答は無用とばかりに右の掌を俺の目の前へと挙げ、踵を返していた。俺にはもう言葉は何も残されてはいなかった。白い月光の中を立ち去って行後ろ姿に、ひしひしとした絶望を味わうばかりだった。



 二つの満月が中天へと差し掛かると、波が引くように影が足許へと消えた。

 足許には複雑怪奇な線が幾つも描かれており、その線自体も薄く発光していた。俺の周りを取り巻いていた神官達が青白く光り始め、同時にその中心となるシアの宝玉だけが異様なまでに赤く赤く輝きを増していた。呪文の詠唱が低く、絶え間なく続いている。俺は今まさに送り帰されようとしているのだ。

 魔法陣の中心で一人、俺は無気力に佇んで儀式を他人事のように眺めていた。 俺は全てを諦めていた。仲間を弔うこと、運命を呪うこと、あらゆること全てを……

 不意にシアが俺の前へと歩み寄って来た。あれから数日間、俺達は一度も言葉を交わしていない。俺は何も言えずにシアの顔をただ見詰めるばかりだった。

 「……隆。一緒に行けなくて済まないと思っている。でも、どうか分かって欲しい。私はこの無残な世界を見捨てて行くことは出来ないんだ」
「俺の方こそ、君の気持ちを考えもせずに無茶を言って…… 悪かった」
「ありがとう、隆」
「元気でな」
「隆も……」

 シアはきゅっと唇を噛み締め、ぎゅっと拳を握り締めた。その仕草に、感情を表に出せないシアの精一杯の感情を俺は感じた。俺は堪らずに、その細い身体を抱き締めた。このまま一気に時空の狭間にでも、何にでも飛ばしてくれれば、と切に願わずにはいられなかった。

 「隆、いつか遠く時空の輪の接する場所で…… まためぐり逢える日を……」

 アイスブルーの瞳と白銀の髪、赤い宝玉とが視界の中で緩やかに混ざり溶けた。切なく震える言葉を唇に感じた瞬間、俺の意識は光の中へと弾き飛ばされていた。



 「おいっ! 大丈夫か? しっかりしろっ!」

 バシバシと頬を叩かれる痛みと、耳元の怒鳴り声に俺は目を開けた。そこには、泥に塗れたヘルメットを被ったずぶ濡れの男達が顔を歪めて覗き込んでいた。

 「……あ」
「しっかりしろ。お前が最後の生還者だ。これだけの事故で死亡者なしとは奇跡だ。ヘリがぺしゃんこだったから、全員絶望かと諦めてたんだがな。こんな時にはよぉ、本当に神様っているんじゃないか、って思っちまうよな。いやはや、全くめでたい」
「あ…… し…… シアは……」
「仲間か? 心配するな。全員無事だ。全員病院に収容された。お前が最後だよ。そして、程度の軽い奴は入院すらしていないそうだ」
「みんな…… 生きて……?」
「少し前に楠本という奴が収容された。そいつを搬送したヘリがここへと戻って来るまでの辛抱だよ」
「……」

 男達が次々に覗き込ん来ては、全員無事だとか、奇跡だとか色々嬉しそうに話し掛けてくる。俺はそれらを聞き流していた。彼らには心からの励ましや祝福の言葉なのだろうが、今の俺には、この命ではシアにはもう逢うことはない、という冷酷で非情な宣告と同じだった。この薄汚れた手には少女の感触が生々しく残っているというのに、このやり場のない、ぽっかりとした空虚感だけが今の俺の全てだった……

 頬を濡らすものが降りしきる雨なのか、また別のものなのかは分からなかった。 俺は静かに込み上げてくる淋しさに身を委ねるばかりだった。






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