「シンデレラにはかなわない」
……ったく! 親父の奴、何、考えてんだかっ!
会社は兄貴が立派に継いでるだろっ! 業績だってまずまずだ。義姉さんだって綺麗だし、頭はいいし、おまけに気立てもいいときてる。言う事なしだろうによっ! あんのくそ親父、亡くなったお袋以外に何が不満なんだかっ! いつか言ってたろ、兄貴は自分の我侭で窮屈な人生を歩ませてしまったから、俺は好きなように生きてもいいってっ! 親父の大嘘つきっ! ここは市内でも指折りのホテルのパーティ会場だ。この無駄に広いホールには、所狭しと色とりどりの紳士淑女で埋め尽くされている。俺はそんな人の群れを憮然と眺めて立っていた。 「ダン、もう少し愛想良くし出来ないか? そんな子供みたいにむくれてどうする」 「残念でした。俺は兄貴みたいに人間出来ていないんだよ。それに、こんな状況で笑っていられるかって。そんな芸当、出来る奴がいたらお目に掛かりたいよ」 「はは…… それもそうだよなぁ」 「そうだよなって…… 他人事みたいに……」 「悪い、悪い…… まあ、適当にやればいいさ」 兄貴は苦笑を噛み殺すようにして俺の肩を叩き上げると、各界のお偉いさん達の群れの中へと消えて行った。そう、実はこれは単なる会社の接待パーティではないのだ。実は大きな裏がある。 このパーティは俺の為に開かれたようなものなのだ。今時分、時代錯誤なお伽話でもあるまいし、このパーティで花嫁を見つけろなどと親父はほざきやがった。全く、冗談じゃあないっ! 俺はまだ学生の身だっ! 今から将来を決め付けられるのってありかよ? 兄貴の補佐で終わるということは、別段不満に思ったことはない。が、嫁さん位は自分で決めさせろってんだ! 兄貴は自分で義姉さんを選んできたぞっ! 俺は今まで親父のことを尊敬してきたが、このとんでもない話を聞かされた時、 今まで培ってきたものを全て粉々に踏み砕いてしまった。俺は取引先の連中と にこやかに談笑している親父の横顔を、力一杯睨み付けるばかりだった。 さあてっ、と! 首尾よく潜り込めたのはいいけれど、これからどうしようかしら? しかし、我が社のライバルもなかなかやるじゃない? この五つ星ホテルを借り切るだなんてね。いったい幾らかかると思ってんのかしら? あら、あそこで話し込んでいるのは国防省の……? いやあね、ここは軍事にまで手を出しているのかしら? そして、その隣には厚生省の…… って、そのお連れって今不倫の噂で持ちきりの女優じゃない? まあ、なんてこと。 あっちのソファで寛いでいるのは財界の大物のおじいちゃん達。ただのぼけぼけ、ほのぼの老人の集団かと思うけど、その実は世界の金融を顎で動かす妖怪達。 ベストセラー作家に画家、女優に俳優、歌手に作曲家、スポーツ選手。どっちを 見ても有名人ばかり。これは脈絡も何もあったものじゃない、手当たり次第ね。 盛大なパーティが執り行われると知ったのは一昨日のこと。各方面の有名人が、大ファンの歌手が出席するということで、私は両親に頼み込んだ。いつもならば、 二つ返事の二人が今回に限っては、頑として許してくれなかった。ライバル会社のパーティに出席というのは今に始まったことではないのだから、と何度言い募っても二人の首は縦に振られることはなかった。 しかし、そんなことで引き下がるような大人しい私ではない。私は思いつく限りの ありとあらゆる手を使って、このチェックの厳しいパーティに潜り込むことに成功したのだった。だから、今日はとことん楽しまなければ! すれ違う人はみな有名人という贅沢な流れの中を私は緩やかに泳ぎ回っていた。 くっそうっ! 何、やってんだよ…… もういい加減にしてくれよ。こんなことして 何が面白いんだ? 俺は薄っぺらい社交辞令攻撃にうんざりしていた。普段ならば適当に割り切って、適当にやり過ごせる程度のことだが、今日の今日は我慢がならなかった。 逃げ出そうとした俺を制したのは、親父でも兄貴でもなかった。それは、今日の 裏を嗅ぎ付けてきた女達だった。色っぽく媚びるような視線、艶かしい真紅の唇、 甘く囁くような声、むせ返るような香水の香り…… いつもならそんなものは適当にやり過ごせたが、今日に限っては一から十まで全て鼻につく。 俺はこのどうしようもない状況に抜け出すことすら適わずに、表面ではにこにこと笑いながら心の中ではイライラと拳を握り締める始末だった。 「失礼、レディ方…… 私はちょっと…… しばらくお暇をいただけますか?」 「あら、まだいいじゃありませんか。お時間はたっぷりありますでしょう?」 「ふふ、もしかして照れていらっしゃるとか?」 「あの…… そういう訳ではなくて……」 「難しいお話は今日は無しと伺っておりますわ。もっと楽しみましょうよ…… ねえ?」 「いや…… あの……」 会話の間を突いて逃亡を図ろうとしたのに、こいつらはハイエナのようにしつこく 食い下がるように纏わり付いて来る。お前らみたいな相手の機微を察することすら出来ないような奴を、この俺が選ぶとでも思ってんのかよっ? お前ら、義姉さんのことをちっとは見習えよな。あそこまで完璧にとは贅沢は言わないが、少しは状況や相手の気持ちを考えろっ! お前らは俺の何を見てる? 俺の向こう側にある金を見てるだけだろっ? いい加減にしろっ! 俺は物じゃねぇっ! 俺は腹が立つやら、情けないやらの泣き出したい気分で女達に囲まれていた。 このブルーのカクテル、お気に入りの淡いピンクのドレスと合っててもいい感じ。 それに、こんな盛大なパーティで物怖じすることなく歩き回っている私もいい感じね。もう立派なレディよ。パパにもママにも見せてやりたい位だわ。 あら、あれは人気のロックグループの……? 彼らって表に出てこないのよね。 こんな所で、しかもこんな間近で会えるなんてラッキーかも! あっ、行っちゃうっ! せめてサインだけでも…… 待って…… えっ……? えーっ! 「きゃっ!」 「わっ!」 「ご、ごめんなさいっ! 私、余所見をしてて……」 ……やだっ! 私ったら…… ああっ! カクテルがお気に入りのスカートにっ! もう、どーしてそんな所に突っ立ってるのよぉ! 折角のドレスが台無しじゃないっ! 染みになったらどーしてくれるのよっ! 私はキッ、と木偶の坊よろしく突っ立ていた人物を睨み上げた。 ……えっ? 何、この人? もしかして…… 今日の影の主役、じゃないの? ど、どうしよう? 選りによってこんな時に、こんな人物にぶつかってしまうなんてっ! 私ってつくづく馬鹿かも…… と、とにかく今は私のことは何としても隠さなくっちゃ! 私は全身の血が引く音を聞いたような気がした。 ああ、天の助けというのはこういうことを言うのだろう。 余所見をしていた少女が俺にぶつかって、その淡いピンクのスカートにカクテルを零してしまっていた。彼女は台無しになったドレスに呆然と無言で立ち尽くしている。俺はここぞとばかりに折角のドレスが、とわざとらしく言いながら彼女の手を引いて包囲の輪を抜け出した。 「こ、これは私の不注意からきたものですから…… お気になさらないで下さい。 あの…… お話中の方々に失礼なのではありませんか?」 「いいんだ。俺もあいつらにはいい加減飽き飽きしていた所だったんだ。悪いけど、君をダシにして逃げ出させてもらった。それよりも、そのドレスを何とかしないと…… そのピンクにそのブルーの色は目立ちすぎるだろう? それ、結構値段の張るものなんだろう? だったら尚更、早く手を打っておかないとね」 彼は笑ってそう言いながら私の手を引き、ぐんぐんと人の波を掻き分けて行く。 時折、偉そうな人達の会釈を軽く片手でいなしていく彼は、とても大人だった。確か、彼は私と幾らも年は違わない筈。なのに、ここまで堂々とした仕草を見せられると、まだまだ子供染みた自分が恥ずかしくて仕方がなかった。 こんな生きた心地もしない複雑な状況で、私は顔を隠すように俯いて歩いていた。紅い絨毯と交互に見え隠れする彼の黒い靴の踵だけが、私の視界の全てだった。 ……どん 彼が急に立ち止まった。手を引かれるままに歩いていた私は、彼の背中に頭を ぶつけてしまった。何事かと彼の肩越しから見た光景に私は一瞬で凍り付いた。 一番あって欲しくないと願っていた状況がそこに展開していた。パパとママが今日の主役であるライバル会社の会長と、現社長夫妻と談笑している。 ドレスなんてこの際、どうだっていいっ! 言い訳は後で何とでも立たせるわっ! ここでパパとママに見つかってしまう方が怖い。今は何としても逃げ出さなくては! 畜生! あのたぬき親父の奴! 人の気も知らないで暢気に笑っていやがる! 俺は親父の思い通りには絶対になってやらないぞっ! 俺は知らず知らずの内に立ち止まり、どこかの夫妻と兄貴と談笑している親父を睨み付けていた。 どうやったらあの狸に一泡吹かせてやれるだろう? 俺はついついそんなことを 考えていた。 ……そうだ! 彼女を…… どうせ今知り合ったばかりで名前も知らないし、後で連絡が付かなくなったとか 何とか言ってうやむやにしてしまえばいい。彼女には悪いが、もう一度ダシになってもらおう。俺は紳士的じゃないな、と良心に呵責を覚えつつ振り返った。振り返った彼女は驚く位に真っ青だった。可愛らしい唇が微かに震え、そのブルーグリーンの綺麗な瞳には涙が零れんばかりだった。 「君……?」 「ごめんなさいっ!」 声が上がると同時に握っていた手が勢いよく振り払われ、彼女は脱兎の如く人の波へと消えて行った。突然、振り払われた手には鈍い痛みだけが残り、俺は唖然と阿呆のように空っぽの手のひらを眺めていた。 俺、彼女に何かしたか……? 俺はまだ何も言っていないだろう……? 何だ? 何だ、この感じ……? この妙な感じは……? どこか薄いベール越しにある物を見ているような実にもどかしい気分だった。 「……そうだ! 君っ! 名前は? ちょっと!」 そうだ、俺は彼女のことを何も知らないんだ。名前はおろか、年はいくつなのか、どこで何をしているのか何も知らない。どんな顔をして笑うのかすら知らない…… 知っているのは彼女の手の感触と、ブルーグリーンの瞳の色と、困ったような泣きそうな顔だけ。ただこれだけ。こんなつまらないことだけ…… しかし、俺がこのことに気付くには遅すぎた。既に彼女は消えてしまった。 俺は自分の馬鹿さ加減を心の底から呪わずにはいられなかった。 「ダン。お前にガラスの靴をあげようか?」 「……親父…… 何だよ、それ? お伽話じゃあるまいし……」 「彼女の名はアリーナ。アリーナ・ローウェル」 「……え?」 「もう二度とは言わん」 いつの間にか来ていた親父が、意味深な笑いを口の端に浮かべて立っていた。 「……っ! 悪いな、親父! 一生恩に着てやるよっ!」 親父の肩をばしっ、とどやし付けると俺は身を翻して駆け出した。その翻る視界の端で談笑をしていた夫妻と兄貴が握手を交わすのが見えた。あれは、ローウェルの社長夫妻? そうか、俺はハメられた訳か…… そういうことか。まあ、いい。 今回は大人しくハメられてやるよ。親父殿…… 俺は人波を押し退けながら、声高く彼女の名を呼び上げた。 振り返ったブルーグリーンの瞳が、人垣の向こうで大きく見開かれていた。 |