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 「不帰の客に花束を」
薄闇の中をそっ、と歩き回る足音が一つ。
躊躇いとも、恐れともつかない、どこか疲れたような足音。

その足音の許にうずくまり、面を伏せているいくつかの人影。
そのどれもがぼろぼろに疲れ果て、深く項垂れていた。

ぽん、と叩き上げる音が響く度に、ふらふらと立ち上がる気配。
そして、殺しても殺しきれずに零れる小さな重い溜息。

 そんな中、この重たい空気を他人事のように顔を上げて眺めている少女がいた。今は全員が伏せているのが約束なのだが、誰もそれを咎め立てることはなかった。何故なら、少女のその瞳には光が射していなかったから。

 ねっとりと足元に縋り付いてくる溜息の泥沼の中を彷徨う気配を、少女は光のない瞳でじっと追い続けていた。


 とある地域の紛争が大戦の引き金となって、世界は砲火の中へと叩き込まれた。覇を争っていた列強大国達は、その技術の高さ故に早い段階で眩しい一瞬の光の中へと消えた。大国の人々は自分達の身に起こったことを悟る暇も与えられずに、日々の暮らしの笑顔のまま一瞬で光の中へと消されていった。

 あちこちで炸裂した光は、争いを止める正義の光ではなく、悪魔の光だった。

 全てを薙ぎ払っただけでは満足せずに、解き放たれた悪魔は瞬く間に生命溢れて輝いていた美しい星を蝕み、やがて、惨めに最後の時を待つばかりの瀕死の星へと貶めていた。空には死の灰と激しい風が吹き荒れ、焼け爛れた大地は毒の膿をだらだらと垂れ流し、その毒に汚染された水は禍々しい赤黒く淀むばかり。大地の恵みを享受出来なくなった生き物の行く末など想像するのに難くないものはない。

  このどこにも逃げ場の無い阿鼻叫喚の世界の中、わずかに生き残った者達は、先に無邪気に笑いながら消えた幸せな者達を羨みながら次々に倒れていった。

  少女はその光を奪われながらも、奇跡的に生き残った一人だった。この瀕死の星で今も息づくものと言えば、ここに集う十二名の人間のみ。他に一匹の動物も、一握りの植物すらも存在してはいない。悪魔を解き放ち、全ての兄弟たる生命達を死に追い遣った人間だけが生き残っているというのは実に滑稽な話だが、己達の浅はかさの結末を見せ付けられていると思えば、当然の報いであるとも言えなくはなかった。

 そんな状況下、とある神が彼らに救いの手を差し伸べた。
が、しかし、それは救いというにはあまりにも残酷な救いの手だった。

 新天地へと旅立つ神鳥に乗り込めるのは七名。生き残っているのは十二名。
どうしても五名は切り捨てなければならない。

 人選を任されたとある若者は、このあまりにも酷な条件に嘆き悲しんだ。しかし、感傷に浸っている暇は一刻たりとて残されてはおらず、若者は悩みに悩んだ末に、断腸の思いで評を下すこととなった。

 若者に肩を叩き上げられた者は速やかに神鳥の許へ行くこと。
この時、決して顔と声を上げてはならないこと。
全員、この選評に対して異議を申し立てないこと。

 この三つの約束の下、今がまさにその選評の時だった。


 少女は既に諦めていた。諦めるというより、最初から関係ないと突き放していた。何があるか分からない新天地では、光のない自分はただの足手まといでしかない。自分よりも有能で、役に立つ人物が新天地に向かうべきだと思っていた。だから、少女は顔を上げて彷徨い続ける足音を光のない瞳で追い続けていた。

 ところが、不意に思い掛けなく肩先に差し延ばされて来た指先の感触と、突然の浮遊感に少女は息と心臓とを同時に跳ね上げた。寸でのところで押さえ付けられた声と心臓は口から跳び出さずに済んだが、ばくばくという鼓動の音がずきずきと耳に痛く、押し殺した息の苦しさにくらくらと眩暈がした。

 ややあって、混乱した頭が冷えてくると、そのふわふわと上下する感覚から自分が抱き上げられて廊下を歩いていることに少女は気が付いた。コツコツコツと無機質に繰り返す硬い靴音は、周りに幾重にも折り重なって響き渡っていた。その冷たい規則正しさは先程の激しい鼓動の酔いをすっかりと醒まし、今度は少女の耳と心に底知れぬ恐怖を囁き始めていた。

 誰よりも少女は死を覚悟していた。が、それは神鳥の旅立った後、残された者の恨み辛みを聞きながら、じわじわと忍び寄って来る死を待つものだと思っていた。 まさか旅立つ前に手を下されると思っていなかった少女は、思いがけず喉許にまで登って来た死の恐怖に首を竦めながら唇を噛み締め続けていた。

 今ここで一思いに縊られた方が、無残な死を惨めに迎えるよりマシかもしれない。これから生きて行く者の手に掛かって、その心の中の片隅にでも残って共に行けるのならばマシかもしれない、という考えが少女の中を駆け抜けた。途端に、少女は急にさばさばとした気持ちになって、恐怖の手を素直に受け入れようとした。

 しかし、浅ましい生への執着か、生き物としての本能かは分からないが、生きたいと抗う気持ちも同時に湧き上がってくることも止めることが出来なかった。相反する思いは激しくぶつかり合い、荒れ狂って少女の心を翻弄し始めた。

 そんな心の葛藤をよそに、ぶわんっ、とした暑苦しい空気の流れが少女に屋外へ出たことを告げ、同時におおっ、という驚愕に満ちた声ももたらしていた。



 「何? その子? どうしてその子を連れているの?」
「あんたは何を考えているんだ? 彼女ではこの先、耐え切れないぞっ」
「君一人じゃないの? どうして彼女を…… 何か特別な理由があるの?」
「……あの ……あの?」
「もしかして、我々を見送りたいとか?」
「ふむ…… 健気な娘だ。我々は彼女に恥じないように新天地で励まねば……」
「彼女が最後のメンバーです」

 驚きで騒々しく沸き上がる空気に、柔らかいが有無を言わせない声が響いた。

 「えっ! それって、どういう……」
「どうもこうも…… 僕以外のここにいる全員が、神鳥に乗って行くメンバーですよ」

  浮かれ立っていた空気がその一言で、ずっしりと重いものへと一変した。誰もが無言で見返し合いながら困惑し切っているのが、盲いた少女にすらも手に取るようだった。そして、そんな空気の重圧に耐え切れなかった誰かがとうとう声を上げた。

 「じゃあ、あなたは? あなたは神々に選ばれた最初の人間の筈でしょう?」
「いや…… 僕はメンバーを選び出す役目に選ばれただけということで……」
「でも、これからの私達には中心人物が必要なのよっ! それがあなたでしょう?」
「そうだ。我々を導いてきたのは君じゃないか。君こそが責任を持ってだな……」
「僕はそんな大した人物ではありません。皆さんのように立派な学を修めた訳でも、特殊能力を身に付けている訳でもない…… ただの平凡な青二才です」
「でも……」
「とにかく、彼女が最後です。今ここにいるのが、僕が選んだメンバーです。どうか、道中くれぐれも気を付けて……」

 落ち着き払い、穏やかにはなむけの言葉を告げる声に対し、少女は光のない目を吊り上げた。

 「冗談じゃないわっ! こんな時に趣味の悪い冗談はやめてよねっ! そうよっ! 目が見えない私なんて、何の役にも立たないんだからっ! 私なんか連れて行ってどうするの? 私はいつも誰かの手を借りないと生きていけない…… これからの新天地の生活では、私はただの足手まといでしかないのよっ!  はっきり言って、厄介者、邪魔者よ! こんな私より、あなたの方がずっとずっと相応しいわよっ! 子供だからって馬鹿にしてるの?  憐れんでるの?  冗談じゃないわよっ!  下ろしてっ! 下ろしてよっ! そして、そのまま行ってよっ! さっさと行ってよ! そうよ、少しでも私のこと可哀想だって思うのならば、今ここで殺してから行ってよ。その方が後腐れはないでしょう? ねえっ! ねえっ、たらぁ…… 私のつまんない我侭位、きいてくれたっていいでしょっ! ねぇっ!」

 少女は抱え上げられた姿勢のまま、幼い子供のように手足を振り回し、声を大きく荒げて暴れ回った。周囲の空気も少女の言が正しいと沈黙で語っていた。

 そんな少女の頭上でふ、と苦笑の息が零れた。

 「君は死んじゃいけないんだよ」
「でも、私よりあなたの方が…… さっきから何を馬鹿なことを言っているのよっ!
あなたがいないとみんな困るって言ってるじゃないのっ!」
「僕はここに、いる…… だから、心配は要らない」

 ここに、という言葉と共に下腹部をぽんっ、と撫で上げられ、少女は反射的に顔を上げた。そこには、光を映さない瞳が必死で光を掴もうともがいていた。

 新たな驚愕と戸惑いで、周囲の気が激しい津波のようにぐらぐらと揺らぎ始めた。そんな波から守るように力強く抱き締められ、少女は痛みに顔をしかめた。そんな頬に温かな体温が、耳朶には静かな声が下りて来た。

 「こんな土壇場で驚かせて、ごめん…… ある人がね、間違いないだろうって…… 君の体調の悪さはね、劣悪な環境や傷んだ食べ物のせいじゃなかったんだ」
「……何? 私、お腹に……? それって…… あなたの……?」
「うん…… 評定の間は、個人的に接触することを禁じられていたから…… これはあまりにも急な話で…… こんなギリギリになるまで話す機会を逃してしまった」
「……」
「死を待つだけの星に君を、君達を置いて僕が行ってしまう訳にはいかないだろう? 本当は僕が君達を守りたいけれど、この状況下ではこれが僕の精一杯なんだ…… これ以上は、望めない。僕の我侭で未来の可能性を潰す訳にもいかないんだ…… だから、ごめん」

 淡々とした口調のせいでゆるゆると訪れた驚愕に、少女はのろのろと言葉を押し出した。

 「あ…… わ、私……? 私が……? ど、どうしよう……」
「うん…… 何があるのか分からない新世界で、一人で子供を産み育てるのは不安だということは重々承知している。君一人だけにこんな苦労を押し付ける形になってしまって、心からすまないと思っている」
「……」
「でも、お腹の子はいつまでも赤ん坊のままじゃない。いつか僕の代わりに君を守るだろう。一緒に行くメンバーもきっと助けてくれる筈だと僕は信じてる」
「……」
「それに、何よりも僕は他の誰よりも君に生きて欲しいんだ。だから…… 頼む」
「……私に…… 出来る…… の…… かな?」
「君なら出来るよ。大丈夫、僕が保証する。君は目に光がない、ただそれだけだよ。他には何も悪い所はないのだから…… 大丈夫、気を強く持って」
「……う、ん……」

 力強い言葉に促されるようにして、少女は曖昧に頷いた。

 「人の想いというものはどこまでも飛んで行ける力がある、と聞いたことがある。 もしそれが本当ならば、僕は生身の手で守れない分、その力で君達を全力で守る。絶対に君を守る。約束する。これだけは…… 次は神々にも邪魔はさせはしない」
「うん……」
「次に逢う時は平和な世界で……」

 やがて、少女の耳に最後の言葉がそっと滑り落ちた。それは、あまりにもひそやかで他の誰にも聞き取ることは出来なかった。


 「という訳で、彼女のことをどうかよろしくお願いします。これで定員の七名ですが、実質は八名ということで…… ただでさえ繁殖限界数を完全に下回っている訳ですから、可能性の底上げを考えると、これがベストな選択でしょう?」

 自嘲気味の笑いを滲ませた声と共に少女の身体はふわりと宙に、既に神鳥の背に乗り込んでいる面々へと差し出された。少女は抵抗することすら忘れ、呆然としたまま身を硬く強張らせるばかりだった。

 長い、長い凍り付いたような沈黙の時間が訪れた。

  いつまで経っても差し出されたままの少女が、居心地悪げに身動いだ。すると、それを合図としたかのように少女は押し戻され、続いて眩暈にも似た感覚でぐるん、と回転しながらその身は空中へと軽々と放り出されていた。

 激しい衝撃が治まった時、身体のあちこちに手や腕が添えられ、ふんわりとした 温かい羽毛の柔らかさが少女の頬を優しくくすぐっていた。

 「なっ…… 何をするんですかっ! こんな時にふざけないで下さいっ! あなたが降りてどうするんですかっ! 僕は彼女を受け取って欲しいと言っただけです…… 早く替わってっ!」
「今の話を聞いて、私よりもあなたが旅立つ方がいいと思いましてねぇ。子々孫々のことを考えたならば、私は少々年を取り過ぎています。そして、何より……」
「……?」
「生まれてくる新しい生命位には、両親揃って幸せになって欲しいじゃないですか。ただ単なる知識よりも、両親の無償の愛情の方が何倍も上だと思いますが?」
「ですが、それとこれとでは! 今はそんなことを言っている状況ではありません! あなたが修めているものがこの先、どれだけ必要なものか分かっているでしょう? 僕の決めたことに異議を申し立てないというのが、約束だった筈だっ!」

 耳許で焦り狂って叫ぶ声に怯えたように少女は光の無い瞳を瞑り、頬に触れる服の端をただひたすらに握り締めるばかりだった。

 「ほら、ね?  今の彼女を見て御覧なさい。あなたは必要とされているんですよ。他の誰でもない、あなた、が彼女達を守らなくてどうするのです? こういうことはね、知識や技術、理屈がどうという訳ではないのですよ」
「しかし、それでは……」
「こういう学や技術というものはね、必要になれば自然と発生するものなんですよ。そうやって我々は進歩してきたんですから。まあ、結果はこんなでしたけれど…… それに、この星に当てはまったものが新天地で当てはまるとは限りません。その時になって、己の無力さに絶望するのは私はごめんですから」
「そんなことはないっ! あなたは大切な人だっ!」

 荒がるそれに対する声は、とても穏やかで朗らかだった。それはまるで聞き分けのない生徒を辛抱強く、微笑みながら諭す老教師のようだった。

 「今ここで討議するのは、ただの水掛け論です。時間の無駄ですよ」
「茶化しているのはあなただっ」
「では、話を変えましょうか…… あなたは最初から自分を頭数に入れていなかったでしょう? あなたはいつも、何をするにしても、他人を優先してばかりでしたよね。そう、これからあなたのそれが一番必要なんですよ。人に対する優しさ、がね…… どこに行っても変わらないものは、そういう人や物に対する情じゃないかと私は思うんですよ。私の考えは間違ってますかね?」
「でもっ!」
「あなたは何も気に病む必要はありませんよ。しっかりと胸を張って、お行きなさい。そして、新世界の礎を築いて下さいね。明るい未来を祈っていますよ」
「……」
「じゃあ、そういうことで。みなさんもこの先、どうかお気を付けて…… 御機嫌よう」
「あっ…… 待ってっ!」

 出立を告げる神鳥の甲高い鳴声と力強い羽ばたき音が、続く言葉を無情にも掻き消した。激しい飛翔は諦めずに投げ放たれる言葉を無残に引き千切り、風の中へ吹き散らしてもう誰に届くこともない意味のない無駄な叫びへと変えてしまっていた。

  少女は耳許で流れる涙の音を、ひたすら抱き締めることだけしか出来なかった。自分がここで泣いてはいけない、見えない目でも前を見なければいけない、何故かそんな気がした。そうでなければ、残された人々と母なる星に申し訳が立たないようなそんな気がして仕方なかった。

 不意に後ろ髪を引っ張られるような感覚に少女は顔を上げて振り返った。

 そこには見えるはずのない、かつては青く美しかった母なる星が死の影を纏って力無く横たわっている姿が少女の脳裏にまざまざと映し出されていた。

 星は末期の歌を静かに歌い始めていた。

 それはこの惨めな死に追い遣っておきながら見捨てて行く者に対しての限りない怨嗟の歌なのか、最後の希望を託した者への励ましの歌なのか判然としないものだった。それは悲鳴とも祈りともつかない、突き刺さるような切々とした響きを伴って響き渡っていた。

 神の残酷な戯れに辟易しながらも、少女は万感の想いの花束を、光無い視線の花束を死出の旅へと向かわんとする母なる星へと手向けた。

 やがて、星がどんよりと纏っていた影はその濃度を一気に増して、どろり、とした深い闇となり、全てはその闇へと一瞬の内に飲み込まれた。と、同時に、響き渡っていた星の歌も闇に引きずり込まれるように消え、後にはただ虚無の闇がのったりと無気力に広がるばかりだった。

 かつての美しい星の姿はもうどこにもなかった。

 生き残ったという充足感はどこにもなく、何があっても還るべき場所はないのだという大きな喪失感だけがひしひしと胸に差し迫るばかりだった。

 少女の瞳から涙が零れ落ち、星の後を追うようにきらめきながら流れて消えた。 それは星に対する野辺送りの灯火のようだ、との誰かの呟きを聞きながら少女は静かに哀悼の意と共に瞳を閉じた。

 神鳥は光の軌跡を長く残しながら何処かの宇宙(そら)へと飛び去り、
後には静寂の闇だけがまどろむばかりだった。






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