「Yes Yes」 ( 頑なP様「 Yes Yes 」より)
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 「今日の武道館、朝から随分と人がいるわね」
「今日は柔道の大会だからね。うちの武道館で市の大会やってんのよ」
「めーちゃん、知ってたの?」
「昨日の晩、大樹がメールをくれたもの」
「あんたち、そんなに仲良かったんだ?」
「んー? ただの中学繋がりってとこ、かな?」
「観に行こ? 私の中学は柔道じゃなかったから、ちょっと興味あるんだわ」
「えー、朝補習が終わったんだから帰ろうよ。アイスでも食べに行こうよ」
「いいじゃないの。行こ、行こ!」



 武道館の腰窓から中を覗くと、私達に気付いた他校の生徒が腰をずらして
くれた。そのひしめく道着達の隙間から見えたのは、並んだ五人の男子。

 赤い畳を越えたその先は冷徹な勝負の世界。周りのざわざわとした喧噪は
遠い俗世。あの背筋の伸びる空気に浸るは栄誉。

 「大樹が副主将? すごいね。一年が団体戦メンバーに入るって強いって
ことなんでしょ? 教室ではそんなごつい感じには見えないのにねぇ」
「確かに、大樹がメンバー入りしてたのには素直に驚いたわね。でも、あれは
強いから副主将って訳じゃない。先鋒や中堅にポイントゲッターを持ってくる
戦法だと思う。先鋒に最強の人を配して、後の人は何もせずに試合終了なんて
よくある話だしね」
「これは県大会を掛けた試合だ、ってその辺の人が話してたわよ」
「あら、そうなの? それは大勝負ね。大樹の責任は重大かも」

 主審の雷のような号令と共に試合が始まった。一戦毎に武道館が野太い
応援の声で揺さぶられていく。ぞくぞくするような高揚感。

 「あ…… あれ? 大樹が寝転んだまま動かなくなったわよ? 大丈夫?
先生達も慌てて駆け寄ってる。何かあったのかな?」
「あの馬鹿っ! 落ちた!」
「え、何? どういうこと?」
「気絶したってことよ」
「めーちゃん? めーちゃん、ちょっとっ! どこ行くのよー」



 「大樹っ!」
「め、めーちゃん? あっ! 痛い、痛い!」
「これこれ…… こいつ、今しがた活を入れられたばかりだからね、無体は
いけないよ。それに、武道場に土足で上がっちゃ駄目だし、女の子が男子に
後ろから蹴りを入れるもんじゃな……」
「このお馬鹿っ!」

 いかにも文系とした顧問先生のやんわりとした制止を振り切り、私は蹴りを
放つ。くっきりとした足形を背負って大樹は青畳に沈む。この騒ぎに他校の
道着連中が何事かと覗き込み、そして、苦笑を噛み殺して消えて行った。

 「なんで参ったをしないのっ! あんな体格差で寝技を極められたら、
ちびっこでほそっちのあんたには太刀打ちなんて出来やしないわよっ!
変な意地張ってどーすんの!」
「めーちゃあ…… ん」
「いい年した男が人前でみゃーみゃー泣くなっ! みっともないっ!」

 突っ伏していた大樹は道着の袖で乱暴に顔を拭き、顔を上げた。

 「僕、先輩方を県大会に連れて行ってあげたかったんだ」
「はあ? 一年坊主風情が何様? 何を思い上がってんの?」
「めーちゃんは僕達を全国大会にまで連れて行ってくれたじゃないか」
「そ、それは…… たかだか中坊の話でしょ? もう関係ないわ」

 大樹の言葉に周りがざわめいた。まずい、私は口を噤む。

 そんな気まずい空気の中、大樹はおもむろに居住まいを正し、武道館の壁にもたれて肩を落としている先輩達に深々と頭を下げた。

 「僕が落ちなければ…… すみません、先輩方」
「何言ってんのよ。あんた一人が悪い訳じゃないでしょ。団体戦なのよ?
責任はみんなで分け合いっこでしょ?」
「……」
「先輩だって奥襟の引きが甘かったり、払いを出すのをわずかに躊躇ったり、
相手のスピードをいなすのに手間取ったりしてた。あんた一人が責任を感じる
だなんて思い上がりも甚だしいわ。それって反対に先輩方を馬鹿にしてるってこと、あんたは分かってんの?」
「さすが三連続全国大会入賞者、橘 芽衣。的確な分析だ」

 顧問の先生の呟きに喉の奥から悲鳴が上がる。それを無理矢理飲み込んで
浮かべた笑顔は我ながら硬いものだった。

 「あんな小窓から覗いてただけで先輩方のことを的確に見抜けるだなんて
さすがだね、めーちゃん」
「そ、それは…… 一応は経験者だし…… そ、それ位は普通でしょ?
というか、どーしてあんたが私のことを知ってんのよ?」
「昨日、メールしたから観に来てくれるかなって。めーちゃんが来てくれたらこの試合は勝てると思ってた」
「何よ、それ? 気持ち悪い言い方しないでよ。負けたじゃないの」

 泣いていたカラスはどこに飛び去ったのか。子供のような屈託ない笑顔を
私は力一杯きつく睨み落とす。

 「ねえ、めーちゃん。もう一度柔道やろうよ」
「な、何を藪から棒に……」
「マネージャーになりなよ。今みたいに的確なアドバイスをしてくれたら、
きっとこの部はもっともっと強くなると思うんだ」
「な…… な……」

 狼狽えて見回すと、期待に溢れた眼差しに取り囲まれていた。

 「あんた、図ったわね」
「めーちゃんの才能、このまま埋もれさせるのは勿体無いよ」
「……」
「めーちゃん。柔道、好きでしょ?」
「……」
「ねえ?」
「あんたなんかに…… あんたなんかに、私の何が分かるって言うのっ!」
「っ!」
「勝手に決め付けないでよっ! 私のことは放っておいてっ!」
「えっ! ちょっと! 待ってよ、めーちゃん! どこ行くのっ!」
「あーあ、桃尾が女の子を泣かした〜」
「桃尾が女に逃げられた〜」
「え? 僕が? え……」



 あの全国大会で下手な意地を張らなければ、この足は今も動いていた。
今のように走ると大したスピードも出せず、引きずるだけの足が忌々しい。
普段はそれを思い出さないように走ることは極力避けている。

 そして、柔道クラブから一緒だった大樹のことも秘かに避けていた。

 「めーちゃん!」
「……」
「あっち行け、馬鹿っ! 甘ったれの泣き虫が感染るわ」

 武道館から盛大な喝采が流れてくる。女子の団体戦が始まったのだろう。

 「ごめん。めーちゃんを泣かせるつもりなんてなかったんだ」
「泣いてなんかないわよ。無神経なあんたに腹を立ててるだけ」
「悪気はなかったんだ。みんな、経験豊富なめーちゃんの助言を待ってるのは本当だよ。これだけは信じて」
「人の古傷を暴いて、塩を塗り込んでおきながら…… それを言う訳?」
「……」

 私はまだ息の上がっている大樹の顔を睨め上げた。叱られた子犬のように
しゅんと肩を落とす姿は昔から見慣れた姿。そんな姿を見る内に、いつしか
降参の溜息が零れ落ちていた。

 「……そうね。そうかも…… 大樹の言う通りかもしれないわね」
「!」
「私も柔道をやれるものならやりたいんだわ…… だから、こんなにも腹が
立つんだと思う」
「……じゃあ」
「でもね、駄目なの。もうこの足は動かない。今だってこんな簡単にあんたに
追い付かれて…… 分かる? この惨めったらしい、屈辱的な気持ち」
「……」
「どうして事情を知ってるあんたが…… 私の傷を抉るの? 私の可能性は
全て閉じてしまった…… もう勘弁してよ。もうそっとしておいて」

 とうとう堪えていた本音が涙と一緒になって溢れた。

 変わりなく柔道を続けている大樹の姿を見るのが辛かった、悔しかった。
柔道に心底邁進出来る人達が妬ましかった。そんな薄汚い自分の姿も見たく
なかった。だから、ずっと目を逸らし続けていた。逃げ続けていた。このまま
時間が過ぎて、忘れていくことだけを願っていたのに。どうしてこの馬鹿は。

 「めーちゃん」

 不意に強い力で抱き込まれ、息が詰まった。以前は自分と同じ位だった肩の
線がずっと上にある。押し付けられている胸板の厚さと硬さは知らないもの。
身じろぎをしても腕の中から抜け出せない。大樹ってこんなだったっけ。

 「大樹、離して。こんな私でも無理をすればあんた位は投げられるわよ」
「投げていいよ。でも、その前に僕の話を聞いて」
「……」
「さっきね、めーちゃんが見てくれてたから、参ったしたくなかったんだ」
「それで落ちてどーすんの! 落ちるって危険なことなのよ? 勝てないと
悟ったら潔く参ったをしないのは無謀でしかないわ」
「でも、少しでも可能性があるなら最後まで諦めたくなかったんだ」
「何、馬鹿なことを言ってるのよ…… 私みたいになりたいの?」
「そうだね、僕はめーちゃんみたいに強くなりたい」
「いい加減にしてっ! 誰も私みたいになって欲しくないの。離してっ!」

 私は力一杯、腕を突っぱねた。ふとした開放感の向こうには、場違いな程の晴れやかな笑顔。

 「一人なら知らないけど、僕達二人でならきっと上手くいくよ」
「は?」
「僕達なら大丈夫。めーちゃんさえいれば、僕は何だってやれるから」
「えっと…… あの…… ね? 大樹? これ、柔道部のマネージャー勧誘の
話じゃなかったっけ? なんか話の方向が妙な感じに行ってやしない?」

 私は慌てて手のひらを大樹に向け、それをあたふたと振り回す。

 「僕はずっとめーちゃんと一緒に柔道をやっていけると思ってた。でも、
あの事故からめーちゃんはいなくなって…… そりゃ、同じ高校に入れたから教室で毎日会えてるんだけど、めーちゃん本来の輝きが見られなくて残念で
仕方がなかったんだ」
「……」
「どうしたらキラキラした綺麗なめーちゃんが戻ってくるかなって、ずっと
考えてた。何度考えても、柔道をやってる時のめーちゃんが一番なんだよね。
だから、足が動かなくても何か柔道に関わっていて欲しいなって」
「何を偉そうに…… 知った風に言うかな」
「伊達に小学生の頃からずっと見てないよ。人のことをみくびるのもそろそろ
止めにしない?」

 不意に現れた威圧感を伴った強い視線に思わず顔を伏せる。こんな眼差し、
ほやほやと笑う部活仲間の頃からは思いもしなかったもの。

 そうだ。大樹は私のことをずっと見てくれていた。私が柔道を断念せざるを
得なくなった時、女子と一緒に泣いてくれたのは大樹だった。女子特有の
雰囲気に流された涙ではない。大樹だけは本当に、心から私の不遇を嘆いて
くれていた。

 「僕はめーちゃんのことが好きだ。ずっと好きだったんだよ」

 回されてきた腕の強さと耳元の声に一瞬で身が竦んだ。ぞわりと背中を撫で
上げる言葉は男の低い声。大樹、いつの間にか声変わりしていたんだ。

 「あんたの好きだった強い柔道娘はもういない。幻滅するのがオチよ」
「うん。今のふて腐れためーちゃんの姿にはとっくに幻滅してるから」
「……」
「僕が守るから。僕が代わりに闘うから。またキラキラした笑顔を見せてよ」
「……」
「ね? 意地っ張りで、全然素直じゃない、僕の女神様」
「め、女神様って…… 恥ずかしい奴ねっ!」
「崇拝する位に大好きってことだよ」

 身を捩る私を更に強く抱え込み、囁く大樹の声は甘い。不思議な位に足に
力が入らない。心臓が跳ねる。思考が白くなる。駄目だ、これ以上この響きを
受けたらこっちの方が落ちる。

 「……あんた、先輩方を県大会に連れて行きたかったって泣いてたわよね」
「うん」
「まだあんたには手が残ってるわ」
「……それ、今する話?」

 呆れて緩んだ腕から抜け出し、私は大樹に向かって指を突き付けた。

 「昼からの個人戦、あんたが優勝して先輩方を連れて行くのよ」
「は?」
「県大会なんてちっぽけなことは言わず、全国大会の会場へ連れて行くの。
その昔、私があんた達を連れて行ったようにね」
「めーちゃん?」
「わ、私はあんたの…… その…… あの」
「ん? ん? ん? なあに?」

 尻尾を振り回しておねだりをする子犬のような笑顔。そうだ、私は昔から
この顔に弱かった。心臓の跳ねは止まるどころかますます激しくなるばかり。

 「と、とにかくっ! こ、この私が付いてるんだから、絶対に大丈夫だって
言ってんのっ! いい? この世で私に一番投げ飛ばされて、それを身体で
覚えてるあんたは簡単に負けるなんてことはないのよ。無様に負けるなんて
許さないから。きっちり勝ちを獲りに行くのよ」
「うんっ!」
「話は私と同じ赤い畳の向こうに上がってからよ。勝負はそれから。私は
自分以下の男なんて絶対に認めないんだからね」
「僕はめーちゃんを失望させることなんて絶対にしない。だから、ずっと隣で見ててくれるよね?」

 きゅっと私の手を握り込んできた大樹の手は昔と変わらず温かかった。
でも、その大きさと無骨さはもう同じじゃない。私が引っ張っていた細い手はいつの間にか一歩先から差し伸べられるものになっていた。それも悪くない。
私はその手を握り返す。

 「えっと、その…… うん。あんたの頑張りに期待してるわ」





  頑なP様
 【KAITO V3】 Yes Yes 【オリジナル曲】
より

 
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