「トルマリン組」 (男勇→女武 男賢→女商)
「あーっ! あそこで結婚式やってるっ!」
高く結い上げた赤黒いポニーテールと、肩からの商人特有の鞄を揺らす ショールが指差した先には、教会の前に広がる人だかりの山。
「この御時世、あんな華やかな結婚式、お目に掛れるものではないわ〜 よっぽどの金持ちの結婚式よ。パライバ! 将来の参考に見に行くよ!」
「……え? あの、私……? 興味ないし……」
急に話を振られた黒髪の女性は、戸惑うようにたじたじと後退る。
「硬いこと言わないのっ! 女の子ですもの、見て損はないわっ!」
「え…… あの、ちょっ、ちょっとっ! ショール!」
胸元で揺れるパライバの手をショールはむんずっ、と強引に引っ掴み、 その小柄な身体のどこにと疑うばかりの力でずるずると引きずって行く。
「ショールに掛かったら、天下の武闘家も形無しですねぇ。あの細い腕の一振りで、魔物を瞬時に沈める力の持ち主だというのに…… 御覧なさい。あのうさぎのような情けない目を」
「情けない、じゃなくて、僕達に助けを求めているんじゃないのかなぁ?」
「君はあのショールに反抗するという訳ですか? あの商人魂丸出しで式や周りを品定めをしているあの娘に、水をさせる根性が君にはある訳で? いやあ、トール君も随分と成長しました…… 私にはそんな大それた根性、とても、とても…… さすがは勇者様。いやはや、感心感服致しました」
くすくすと笑いながら、インディコライトは御自慢の藍色の長髪を軽く 掻き揚げる。その前髪の下の額を飾るのは、賢者の宝玉。
「僕だって今日の晩御飯抜きなんて目には遭いたくはないんだけれど…… パライバが困ってるのは可哀相かなっ、て」
「いいんじゃないですか? 彼女はもう少し欲や表情を出した方がいいですから。欲望丸出し、お天気ショールに感化されれば、彼女は可愛らしくなるでしょうね」
「そんなものかな?」
「トール君はまだ若いですからねぇ」
首を傾げるトールを横目に、インディは笑みを口許に浮かべる。
「その年寄り臭い物言い、何とかならない? インディは二十代だろ?」
「年寄り臭いじゃなくて、成熟した、と言って欲しいですねぇ」
「もういいや」
トールはぷい、と話を打ち切ると、人だかりの方へと足を向けた。一抹の風がその金髪と青いマントを巻き上げ、その髪に隠れていたサークレットの宝玉に光をもたらす。まだ幼さの抜け切らぬ面立ちに宿る瞳の色は、宝玉と同じ青。
黒山の人だかりを縫うように、赤黒いポニーテールがあちらこちらへと 楽しげに揺れ、飛び跳ねている。そんな華やかな集まりから離れ、ぽつんと佇んでいる青緑色の髪の女性の許へとトールは歩み寄った。
「パライバはこういう華やかな場は嫌い?」
「ええ…… ちょっと苦手、かな」
「僕は似合うと思うけど…… だって、パライバは綺麗だもの」
「え?」
「あっ…… いや、その……」
思わぬ言葉にトールはあたふたと視線を逸らし、パライバは掴み所のないふんわりとした微苦笑を浮かべる。
「華やかな場というより、結婚式が…… 苦手なのよ」
「え……? あ……」
トールはパライバの態度の意味と、自分の過ちに気付いて慌てて俯く。
「ごっ、ごめんっ! 僕はそんなつもりじゃあ……」
「気にしないで。もう過去の話なのよ。いつまでも引きずっている私の方が可笑しいの」
「あ……」
「そうね、トール君には聞いてもらおうかしら。無作法に私の詮索をした罰として」
パライバは悪戯っぽく人差し指を唇に宛がって微笑んだ後、話し始めた。
「私、実は孤児なの。物心付いた頃には教会の孤児院にいたわ。五つ位の頃、私は武術に才があるとして、とある武闘家に弟子入りさせられたのよ。ここを追い出されたら帰る家がない、とそれはもう必死に修行したわ」
「あ…… ああ、だからそんなに強いんだね」
トールは言ってから、己の場違いな相槌に恥じて再び俯く。しかし、パライバはそんなトールを気にした風もなく、どこか遠くを見詰めている。
「その中に恋人がいたの。将来は自分達で道場を開きたいと願ってた」
「……え?」
「でも、そんな甘い夢は唐突に破れたわ」
「……」
「師範には病気がちの一人娘がいたの。私は同年というだけで、いつも遊び相手をさせられていた…… 師範の一人娘ということはね、道場を継ぐべき相手を迎えなければならない。その白羽の矢が立ったのが彼だった」
「へぇ……」
「後から聞いたんだけど、彼の実家は師範から相当な額の借金があったの。師範は手広く商売も手掛けててね。その手腕は、ショールにでも聞いて?」
パライバは突然の自分の身上話に目を白黒させるトールに、薄い溜息ともつかない笑みを浮かべて見せる。
「口さがない話をすれば、彼を迎えたいがために裏工作をしたという噂もあるわ。火のない所に煙は立たずで、彼女は私と同じ物や私の物を欲しがる癖があった」
「……」
「優秀な者は他にもいる中で彼が選ばれたは、私の恋人だったからだって。私なんかと付き合ったりしたから、彼の実家は落し込まれたと……」
「酷い話だ! それで、パライバは何も抗議しなかったの?」
トールが憤然と口を曲げると、パライバは乾いた苦笑を返すばかり。
「私は物を言える立場ではなかったもの」
「借金の片にだなんて、時代錯誤もいいところだし、普通は逆だろう……? でも、その彼にだって拒否することは出来たんじゃないのかい?」
「彼は師範にも家族の者にも、私にも何も言わなかったわ。ただ、結婚式の前夜に一言、ごめん、って……」
「はあ? 何、それ……」
パライバの言葉に、トールの顎があんぐりと落ちる。
「そして、それがまた可笑しいの…… その隣で彼女が知らなかったの、知っていたらこの話は断った、って必死で言い募ってきてね。その時はもう泣きの涙ではなく、笑いの涙を堪えるのにこっちは必死だったわ」
「……」
「だって、私達の仲を知らない弟子なんていなかったのよ? その跡取り娘だけが知らないなんて話、ある? 結局、彼女は私の物が欲しかっただけ。彼は物と同じ扱いをされたのよ…… お笑い草よね」
喉の奥を鳴らす笑い声は、昔話を茶化すというより自虐的な猛毒を含んでおり、トールは口を噤むしか術はなかった。ひとしきりの痛い笑いを収め、パライバは更に先を続ける。
「その後、私は師範にあなたに同行するように申し渡されたの。門下から勇者のお供を出すとは大変な誉れだ、という大仰な言葉と一緒にね。本心は娘婿の傍に昔の恋人がうろついていたら、どんな不祥事の引金になるか、 どんな噂を立てられるか分からないと考えたのでしょうね……」
「……」
「こういうのを渡りに船って言うの? あもすもなく私は城へと、あなたの下へと送り出されていたわ」
「……じゃあ、パライバは…… 仕方なく、僕と……?」
パライバは弾けたように笑い出した。それは耳に付くような響きの中に、物悲しい調べを伴った奇妙な笑いだった。パライバは目尻に浮かんだものを指で拭いながら、固まるトールに優しく微笑み掛けながら言葉を継ぐ。
「違うわ…… ごめんなさい、トール君。そういう訳ではないのよ」
「あ…… うん。いや…… その……」
「彼女は彼を、私の物が欲しいと行動に移したわ。対する私は、黙って指を咥えて見てただけ。それがどんなに汚く、いじましい手段だったとしても、彼女の方が私よりも何倍も勇気があったのよ」
「……?」
「私達、実は本気で好きじゃなかったのかも。恋に恋してたって奴かな? 彼は私の為に家族や一切を捨てる勇気はなかった。私も何も行動を起こさなかったし、一言も言を上げていない。結局、周りが傷付かない為と口先では上手く言って、私達は体よく逃げただけ。あの時の私はね、自分の中の弱い自分に完全に負けていたの」
「……パライバ…… そういうのって…… 痛くない?」
「痛くないって言ったら嘘になるわ。でも、これは意気地なしだった私への罰なの」
パライバは肩口に掛かってきたトールの戸惑いと、自身の青緑の髪を手で払った。そして、真っ直ぐに見返してくる瞳には、迷いの色は微塵もない。
「私はね、自分自身の為に旅に出ることを決めたの。魔王を討ち取れば、私は私自身をこの手に掴み取ることが出来るのでは、と考えたの。これは、あなたの為でもなければ、世界の為でもない、私が自分自身の為の戦い」
「だから、その綺麗な身体と手を、魔物の血で汚すのも厭わないというの? そんなの哀しすぎるよ! 何もパライバだけが悪い訳じゃないっ!」
トールの言葉の火花を受けたパライバは、挑戦的な炎を瞳の奥に灯す。
「以前、自分一人が汚れることで他が汚れずに済むのならば、それで由と言ったのはトール君だったわよね?」
「うん…… そうだけど……」
「私はトール君ほど崇高な動機ではないけれど、私は世界の闇である魔物と闘い、それを退けることで自分自身という光を掴み取れるのではないか、と考えているの。その為に傷付き、汚れることは恐くないわ。それがどんなに人から哀れみを受けるものだとしてもね」
「……」
「トール君は、トール君の志のまま光の道を歩めばいい。私は私の道を行くだけ」
「うん…… だけど…… それでいいの?」
「武を志す者に二言はないわ」
きっぱりと言い切り、遠くを眺めやりしながら微笑むパライバの横顔を トールはどこか痛々しげに、それでも、眩しそうに目を細めて見詰め続けていた。
「僕…… パライバがそいつを選ばなくて良かったな、と思ってる……」
「……え? 何か言った? トール君?」
トールの呟きにパライバが小首を傾げると、前髪がさらり、と音を立てて流れた。トールはわずかに赤面しながら、そんなパライバからあたふたと 視線を逸らす。
「あ? いや、その…… ううん。いい、何でもない…… 何でもない。そうだね、魔王を絶対に討ち取ろう。そして、世界に平和を取り戻そう」
「そうね。頑張りましょう。私、もっともっと修行して強くなるわ」
「……うん。そう、だね…… うん、頑張ろうね」
屈託のなく微笑むパライバに、トールはこくこくと無駄に頷くばかり。
「……トール君、前途多難ですねぇ……」
「こういう時にガンガン押しまくらないでどうするのよ、あの子はぁ…… あのヘタレ小僧っ! 歯痒いっ! 後ろから蹴り飛ばしてやろうかしら!」
二人を覗いていたショールはその場で激しく足を踏み鳴らし、インディは肩から抜け落ちるような深い溜息を落とす。
「まあ、まあ…… 少し落ち着いて下さい、ショールさん。あなたが出て行って、暴れたりしたら…… 全てぶち壊しですよ」
「あの二人には荒療治が必要だわ」
「雨だれ石をうがつ、っていう言葉もありますし。その辺に期待しましょ」
「焼け石に水、って言葉もあるわ。あの的外れ女にそんな軟弱で悠長な手が通用する? ああんっ、もうっ! 焦れったいったらありゃしないっ!」
ショールが肩からの鞄の紐をきゅうっ、と硬く絞り上げるのを見ながら、インディは苦笑を漏らす。
「そういうお節介はね、馬に蹴られて死にますよ」
「この私がそんな無様な真似する訳ないでしょっ! 一体、この私を誰だと思ってんの? あっちの方がいっぺん、馬にでもすこーん、と蹴られた方がいいのよっ!」
「……というか、こっちの方が完全に当てられてはいますけどね」
「だ・か・ら、余計に腹立つんじゃないのよっ!」
キリキリと奥歯を噛み鳴らすショールを薄く笑いながら、白とピンクの 玉を次々に口の中へとインディは放り込んでいく。
「それにしても、このお菓子? は美味しいですねぇ」
「それはドラジェって言ってね、アーモンドをお砂糖でくるんだ結婚式用のお菓子。通りすがりにも景気良く振舞うとは、よっぽどのお金持ちなのね。私もあんなを挙げられるように頑張らなくっちゃ」
「おや? ショールさんは玉の輿狙いでしたか?」
口一杯のドラジェをぽりぽりと噛み砕きながら、インディはひょいと首を傾げる。
「まさか! 私は他人なんか当てにしない。式の費用位は自分できっちり稼いでみせる、って言ってんのよっ!」
「ショールさん、結婚というのは一人で出来るものではありませんよ?」
「あら? 私一人ででも充分、立派に家族を養っていく自信はあるわよぉ? それでも、文句ある?」
「結婚というのは、そういうことではないのではないかと…… じゃあ…… 私なんてどうです? 才色兼美の賢者ですから、お買い得でしょう?」
インディは極上の蕩けるような笑顔を浮かべて傍らを覗き込んだが、その相手は口の中のドラジェをごきんっ、と音高く噛み鳴らしただけだった。
「インディが相手じゃあねぇ〜 そんな闘技場やカジノで一発、みたいな博打的なことは〜」
「私は運はかなりいい方だと自負しているんですが?」
「商人はね、堅実が一番なの。運だけで世の中は渡っていけないのよ…… ごめん、やっぱ遠慮しとく」
「そうですか…… じゃあ、またの機会に」
つれない返事にめげる様子もないインディに、ショールは溜息と共に付け足した。
「そうねぇ、あの二人が上手く行ったら考えてあげるわ。勝算はかなーり低いけどね」
「商売も、人の心も、時間と手間の掛けようでどう化けるか分かりません」
「あんたに商売論を説かれるようじゃ、私も終わりだわ」
インディの軽口にショールはひょい、と肩を竦める。
「小さな努力の積み重ねが、幸せな明日を連れて来るんですよ」
「トールが言うのならともかく、あんたの場合は滅茶苦茶、胡散臭いわ」
「はは…… まあ、とりあえずはトール君に頑張ってもらいましょうかね」
「先物取引より危ない賭け事のような気がしないでもないけどね」
まだでくの棒のように佇んでいる二人の後姿を生温かく見守りながら、 ショールとインディは楽しそうに次のドラジェを口に放り込んでいった。
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