「どうかその手を」
 いつもの時間、いつも店にやって来る二人連れ。淡い桜色の髪の母娘。

 母親は子持ちとは信じられない程の清楚な美人。実際、まだ二十代半ば。手を引いている娘を産んだのが十代と言うのだから、当然といえば当然。 この子は親戚や近所の子なんです、とにっこりと笑って言われれば、大概の男は信じる。

 「ガンちゃん、こんにちは!」
「アイちゃん、いらっしゃい。今日も可愛いね」
「ガンちゃん、大好きっ!」
「俺もアイシアちゃんのこと、大好きだよ〜」

 アイシアはにこにこと笑いながら俺の元へと駆け寄って来た。その小さな身体を高く掲げ上げると、天使の微笑みをころころと俺に振り撒いてくる。

 「ガンディークさん、いつもすみません」
「いいんですよ。エリシアさん。俺、アイシアちゃんが大好きですから。 何と言っても先輩の大事な忘れ形見、粗末になんて出来ません。俺がそんなことさせませんって」
「今となっては主人をそんな風に言って下さる方は誰もおりませんわ…… ありがとうございます。いつも色々と助けていただいて感謝しております」
「今は魔物の暴れる嫌な時代ですから。色々と世知辛いこともありますよ」
「そうですね……」
「俺みたいな若造がこうやって小さいながらも店を構えられるのは、先輩がみっちり扱いてくれたお陰なんですよ。俺は先輩へ恩返しがしたいだけなんです。というか、これ位のことはどうか俺にさせて下さいよ」
「ガンディークさんのお陰で私達、どれだけ心強く……」

 エリシアさんはそう言いながら青い瞳を伏せる。長い睫毛が微かに震えている。その何とも儚げな姿に左胸が大きく脈を打つ。

 去年、エリシアさんの夫であり、俺の商売の先輩は、行商途上で魔物達に襲われて死んだ。町の功労者だった先輩の死を悼んでいた人々も、時間が 経つにつれて忘れていった。この不安定で世知辛い世だ。死んだ者より今を生きる自分達や家族の生活を守るのが優先となるのは誰が責められよう。

 残されたうら若く美しい未亡人。この甘美な響きに酔ってちょっかいを 掛けてくる不貞な輩も、その柔らかな微笑みに心を蕩かせる男の数も少なくはない。

 「あ…… あ、あのっ!」

 ヤバイ位に声がひっくり返る。しっかりしろ、俺! ここが正念場だ。 俺はアイシアの小さな肩に手を掛け、頭を下げるのと同時に一息に叫ぶ。

 「あの! 俺た、俺ち、俺と結婚を前提にお付き合いさせて下さいっ!」
「……えっ?」
「俺はまだ駆け出しの青二才です。ですが、俺は先輩仕込みの商人の技量は他に劣るものではないと自負しています。これからも、もっともっと頑張ります。そして、いつかきっと町一番…… いや、世界一の商人になってみせますっ!」

 地に向かって放たれた自分の言葉の重さが胸に沁みる。痛い。心臓のばくばくという音が耳に痛くて、痛くて仕方がない。

 「あの…… でも……」

 戸惑い切ったエリシアさんの儚げな声が、頭上から零れ落ちてくる。

 「ガンちゃん? 大丈夫? 顔が赤いよ」

 下から仰ぎ覗いてくるのは桜色のツインテール。先輩と同じ茶色の瞳。

 「うん……」

 俺はさらさらの桜色の前髪をそうっ、と撫ぜ付けた。ふわっ、と現われた微笑みに後押しされるようにして、俺は更なる言葉を吐き出す。もう俺には後はない。

 「年の差は承知の上。俺もまだやっと十九になったばかりです。ですが、今は大きいかもしれませんが、二、三十年後、それは気にはならない程度の差だと思うんですっ!」
「そんな先のことまで……」
「俺のこれから先の人生、二十年、三十年なんてまだまだ序の口ですっ!」
「ガンちゃ〜ぁん……」
「ごめんね、アイちゃん。俺、今、すっごく大事な話をしているんだ。もう少しだから 大人しく待っててくれるかな?」

 俺はポケットから一本のスティックを取り出し、それをアイシアの目前で上から下へと扱き下ろした。俺の手の動きに添って硬い棒は崩れ、それは 柔らかい布の滝となる。一枚の白いハンカチとなったそれをアイシアの頭に乗せてやると、きゃあ、という可愛らしい声が上がる。

 俺は真っ直ぐに顔を上げ、エリシアさんの青い瞳をそのまま見据える。 ここで視線を、気持ちを逸らされては駄目だ。全てが終わってしまう。

 「俺、どこまで先輩に敵うかは分かりませんが、敵う筈はないと思ってはいますが…… 絶対に大事にします! 世の勇者達のように華々しい活躍は出来ませんが、あなた方に生活の上での不自由な思いは決してさせるつもりは毛頭もありませんっ!」
「……」
「先輩の為にも、先輩の分も…… 途中で死んだりは絶対にしませんっ! 生きてあなた方を最後まで全力で守ります! どうか守らせて下さいっ!」
「ガンちゃあぁん〜」
「あと少しだよ」

 俺はアイシアの頭からハンカチを持ち上げ、ひらり、と翻す。ハンカチの舞いの後には白い一輪の花。それをアイシアのツインテールの片方に挿す。花を取ろうとする小さな手を押し止め、俺はアイシアに笑い掛ける。緊張でその手も、口元もいつになく無様なまでに震えている。

 そうだ。あと少し、あと一押しだ。エリシアさんの頬は上気しているし、わずかに瞳も潤んでいる。俺の心からの叫びに反応してくれている。毎日 こうやって顔を合わせているのだ。俺のこの熱い気持ち、幾許かは気付いている筈。突き崩す壁はあとわずか。

 「俺との結婚を前提としたお付き合いをどうか認めて下さいっ! お願いしますっ!」

 エリシアさんの瞳の動きがふらふら、おろおろと忙しない。俺の心臓の 音もそれに負けない位忙しない。いつ口から飛び出してくるか分かったもんじゃない。でも、ここで一歩も引く訳には行かない。と言うか、引くつもりは微塵もない。

 時が過ぎ、繊細な指先が絞るエプロンの端から震える声が滴り落ちた。

 「どうか…… よろしくお願いします」
「ほ、本当にいいんですかっ! 本当にっ?」
「……はい。こんなわた」
「ありがとうございます、お母さんっ! 絶対に幸せにしますからっ!  約束しますっ!」
「お母さん……?」
「はいっ! ありがとうございます!」
「あの…… 今までのお言葉は私にではなく…… 娘のアイシアに?」
「はいっ! 勿論ですっ! 他に誰がいるというんですか、お義母さん」
「あ、あの…… アイシアはまだ七つ……」
「だから、年の差は関係ない、と、いの一番に申し上げました!」
「そう…… でした…… わ、ね……」
「ガンちゃん、お話終わった?」
「終わったよ、アイちゃん。俺達、これからずっと一緒だよ!」

 俺は腕の中の桜色を力一杯、抱き締める。初めて出会ったあの日から、恋焦がれてきた桜色の少女。俺が一生を捧げられるのはこの娘しかいない、と確信して今日まで来たのだ。

 先輩が亡くなった日、俺は何も出来なかった。悔しかった。絶対に俺は 力を付けて二人を守れるだけの男になる、と誓った。この悔しさをバネに、我武者羅に進んで店を構えられるまでに至った俺の原動力。それはまるで 亡くなった先輩が俺達のことを認め、守ってくれているのかと思う位に順風満帆な道のりだった。

 そして、今。こうして母親のエリシアさんのお許しが出た今。俺は長年に渡って抑え付けてきたこの思いを誰に憚ることなく表してもいいのだ。俺はこの今日という日をどれだけ待ち望んでいたことか。

 最初はアイシアの気を引くためだけに身に付けた手品や女の子の知識は、商売で非常に役立っている。幼稚な事ことでも裏目に出る所か、大きな成功へのきっかけとなることが多かった。アイシアは俺にとって女神。我が信仰する商売の女神の最大の特徴は、高く結い上げた桜色の髪。その女神と寸分違わぬ、俺一人だけの桜色の女神。粗末になんてしない。絶対にしない!

 俺は花々を愛しい女神へと降らせた。それは今の俺の気持ちを表してか、ように次々と留まることなく溢れ続ける。アイシアは花に埋もれる寸前で 可愛らしい歓声を上げてくるくると桜色の髪を揺らして舞う。俺はこの世の全てを手に入れた男だ。俺は今一度、小さな女神を抱き締める。

 「アイちゃん、俺達、幸せになろうね! 俺が絶対に幸せにしてあげる! 大好きだよっ!」
「アイシアもガンちゃんのこと、だぁ〜い好きっ!」
「俺はもっともっと大好きだよっ!」




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