「琥珀組」
 「じゃあ、バーマイトは先に宿に行ってなさいね」
「ちょ、いきなり何なんだよ? 宿って……? ここの王様への謁見はどうするんだよっ!」
「バーマイトこそ一体、何を言ってるのよ?  たかだか一国の王風情に、あたし達がどうしてヘコヘコしなくちゃならないのかしら?」
「でも……」

 突然の言葉に驚く自分の鼻先で、白い人差し指がちっちっと揺れる。

 「あたし達は、これから命の洗濯に行くのよ」
「はあ……?」
「お・か・い・も・の! 女の楽しみは、お買い物に決まってるでしょ?」

 白い人差し指が、つーと形のいい紅い唇へと宛がわれる。そのぽってりとした唇は、つんと不満そうにとんがっている。

 「はあぁ〜? 何だよっ! それっ!」
「折角、交易の中心のロマリアに来たんだもの、当然でしょ?」
「そ、そんなことでいいのかよ、おー姉ちゃんっ!」
「うるさい子ねぇ…… 街中でがなり立てないでよ。みっともない……  ほら、みんなあなたのことを笑っているわよ?」
「でもっ!」
「あなたも十六になったんだから、もう少し融通を効かせなさいな。本当にいつまで経っても子供なんだから…… やんなっちゃう」

 おー姉ちゃん。アンブロイドは豪奢な金の巻の毛と、今にもは弾け切れんばかりの豊かな胸を揺らして溜息を吐く。その物憂い仕草は、通り掛かった男達が思わず見惚れてしまうほどに艶めいたもの。更にその身に纏っている装備というのが、これのどこが鎧やねんっ、と激しく突っ込みを入れたく なるような、踊り子の衣装や水着といくらも違わぬ露出度の高い真紅の鎧。ちょっと気を抜けば、たちまち目のやり所に困ってしまう傍迷惑な装備。 しかし、おー姉ちゃんは、この見てくれに決して騙されてはいけない。あのしなやかな肢体から繰り出される剣技は、そこらの男に劣るものではない。舞踊を舞うような軽やかさと、鮮やかさで魔物達を退ける超一流の女戦士。

 そして、従兄弟の自分から見ても掛け値なしの絶世の美女だと話を戻す。気合を入れて着飾ろうものならば、そこらの普通の美人は裸足で逃げ出す。もし、逃げない強者がいるというのならば、是非ともお目に掛かりたい。 しかも、世界有数の大富豪、琥珀一族の次期当主。性格から何から、生まれながらの女王様。


 「バーマイト、姉さんの言っていることに逆らうの?」
「ちー姉ちゃんまで……」
「私達にだって少し位、好きなようにさせてくれてもいいでしょう?」
「私達にだって、って……」
「あなたのつまらない旅に付き合ってあげてるんでしょ? これ位、多目に見なさい」

 静かで冷ややかな声の主はちー姉ちゃん、サクシナイト。おー姉ちゃんが情熱の赤なら、ちー姉ちゃんは冷静と知性の黒。まさにクールビューティ。その黒髪と同じ真っ直ぐな青い氷の視線に捕えられた時、それは己の最後を意味する。少ない言葉で的確に急所を毒針のように刺し、隠し事は全て白状させられ、徹底的に嬲られる。ちー姉ちゃんが放つ魔法はその言葉と同様に少ないが、それは実に正確無比。時として無慈悲。魔法の杖が人間の形を 取ってるのでは、と疑いたくなる程に魔法のスペシャリスト。

 おー姉ちゃんが絢爛豪華に咲き誇る真紅の薔薇としたら、ちー姉ちゃんは清楚に香り漂わせる白百合。姿は見当たらなくとも、その香りだけで周りを圧倒出来る。

 「お姉ちゃん達〜 私、新しい髪飾りが欲しいんですぅ〜 だから、早く行きましょうよぉ〜」

 ……こンの腹が立つ程に間延びした甘ったれ声は、シシリタイトだ。琥珀本家の三姉妹の末娘だ。年は自分の一つ下の十五。美貌と知性を根こそぎ、ごっそり姉達に持って行かれた出涸らし娘。花に例えるならば、かすみ草。あってもなくても問題ないが、あった方が確実に、華やかに他の花々が引き立つ存在だ。辛うじて、姉達が取り零してきた優しさとか、人の良さとかをかき集めただけのような奴。

 琥珀の血のお陰で容姿的には上の下。珍しい青い髪と蒼い瞳が印象的だ。容姿は血筋や飾り立てで底上げ出来たとしても、知性の方は本人や周りの 努力ではどうにもならなかったらしい。社会見学で修道院に行っただけの筈なのに、何故か僧侶になって帰ってきたという不思議ちゃんだ。その言動や行動は、常識人ならば眉根を寄せずにはいられないようなとんでもない奴。しかし、出来の悪い子ほど可愛いのか、一族総出でこれでもかとばかりに 溺愛されている。

 こんな不思議ちゃんが賢者を夢見ているというのだから、世の中というものは甘く見られたものだ。こいつが賢者になれた日には、自分はへそで茶を沸かし、それを世界中の人々に配って回ってもいいと常々考えている。


 「悪いけど、あたし達の荷物をよろしくね。宿はこの先。うちの紋章を掲げてある筈だから、あなたにもすぐに分かるわ。じゃあ、支配人によろしく言っておいてね」

 おー姉ちゃんは紅い唇の端を艶然と上げ、優雅に手を振って歩き出した。その後をちー姉ちゃんと馬鹿娘がそそくさと続く。


 従姉妹達の姿が完全に消えるのを見計らってから、自分は溜息を吐いた。あの我侭は、別に今に始まったことではない。他人にどう思われようが、 自分にとってはこれが日常。

 父ちゃんがネクロゴンドで死んだと聞いてから、自分は密かに旅立つ日を指折り数えてきた。父ちゃんの遺志を継ぐのは自分だと自負してきた。

 ……という格好の良い話は、実は表向き。

 この旅は、俺にとって従姉妹達から逃げ出す最上の口実だった筈のに。 母ちゃんがこの一族の末娘だったということもあって、自分は本家の従姉妹達に物心ついた頃から可愛がられてきた。というより、下僕扱い。この我侭姉妹達への生贄に近い存在だった。

 生きて帰る保証のない旅に、一族の次期当主達が行く筈は絶対にない。 周りが行かせる筈はない。自分も一応は琥珀一族だが、ただの傍流。旅先で野たれ死んでも一族的には痛くも痒くもない。英雄の血が入った珍種が一匹消える程度でしかない。

 そして、自分は晴れて自由の身。その日を心密かに夢見て、自分は旅立つ日を心から指折り数えてきた。なのに、当主の伯父ちゃん達は姉ちゃん達を俺に同行させた。一国の王の権力をも凌ぐ琥珀当主に、こんな俺が逆らえる訳もなく……

 伯父ちゃん達は当主をおー姉ちゃんじゃなくて、堅実なおー兄さんに譲りたい? と、いうことは、自分にぱあぁぁっ、と徒花を咲かせて来いと? その気持ちは分からなくもないが、伯父ちゃん達は甘い。この三姉妹がそう簡単にくたばるもんか。反対にバラモスをけっちょんけちょんに薙ぎ倒し、高らかに笑いながらアリアハンに 凱旋する筈だ。女王様の煌びやかな箔を一つ増やすだけのこと。

 三姉妹にとって、この旅はただの物見遊山の観光旅行。退屈しのぎの名所巡り。現に自分が路銀として持たされている額は既に庶民の感覚ではない。貧乏とは全く縁のない豪遊旅行。しかも、バラモス退治という非常に珍しいオプション付き。俺はその召使い、下僕。勇者なんて大逸れた称号はただのお飾り。


 「今更じたばた、ぐじぐじ嘆いたって仕方がない…… そうだな、うん。この世は全て、姉ちゃん達の気分次第な訳なんだし? さて、俺も何とかが居ぬ間の洗濯としゃれこんで、昼寝でもすっかな……」

 自分はもう一度大きく溜息を吐き、指示された宿に向かって歩き出した。


 魔王バラモスを倒せば、姉ちゃん達が見事に倒せば、自分にも自由という名のおこぼれが回ってくるかもしれない…… かも、しれない……

 そんな淡く、儚く、遠い期待をささやかな秘め事として抱きつつ、自分の果てない旅はこれからも続いていくのだ。




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